一夜にして太平洋に沈んだ伝説の大陸
ムー大陸と言えば世界のミステリーでは必ず語られる伝説の大陸・文明です。
アトランティス大陸と同じく、かつて存在した高度な文明が海の底に沈んだと言う所にロマンがありますね。
果たしてムー大陸ではどの様な文明が栄え、そして崩壊したのか。
はたまたムーの伝説は架空の物なのか、今回記事にしてみたいと思います。
ムー大陸の概要
一躍その名を世間にしらしめた背景には、20世紀初頭に出版された「失われたムー大陸」と言う書籍があります。
これは、ジェームズ・チャーチワードと言う名のイギリスの考古学研究家が発表したもので、その中で詳細が書かれていました。
ムー大陸は現在の太平洋上に存在し、その大きさは南北5000キロ、東西8000キロの広大な大陸だった様です。
ほぼ太平洋の中央に位置し、一説には人類はそこで5万年前に誕生した上で、高度な文明を築いたとされています。
この文明を統治する人物はラ・ムーと呼ばれた神官で、およそ6400万人の住民が暮らしていたとなっています。
非常に資源も豊かな所で、人々も皆平和に生活していたようですが、今から1万2000年前に発生した自然災害により、一夜にして海の底に沈んでしまったと言われていますね。
この「一夜」と言う所が逆に神秘的な感じがし、人々を引き付けるんでしょう。
他地域の文明に見られるムーの痕跡
太平洋の真ん中にムー大陸が存在したと言う事を推す説として、有名な所では付近の文明に見る記録等があります。
イースター島のロンゴロンゴ文字や、遠くは南米のマヤも元々はムーから派生した文明と言われた時代があったんです。
確かに、オセアニアには独自のフォルムをした絵文字や、様々な伝承が残っています。
沖縄の海底にも与那国島遺跡と呼ばれる人工物の痕跡がありますが、それらも元々はムーの一部だったんではないかと言われています。
広大な大陸だったが故に、その大半が海底に沈んでしまっても一部はそれぞれ海上に島として残り、そこから文明の名残が各地に残っていると言う事ですね。
しかし、この研究に関しては否定的な説を唱える専門家は多いんです。
そもそもチャーチワードがムーの伝説を耳にしたのは、陸軍に所属してインドにいた頃に遡ります。
当時訪れたヒンドゥー教の寺院にて、位の高いお坊さんからナーカルと呼ばれた特別な言語で書かれた石板を見せてもらったと事に起因します。
このナーカルと言う言葉自体には「聖なる兄弟」と言う意味があり、それで書かれた石板をナーカル碑文と呼びます。
その石板の中に、ムー大陸の伝承が細かく書かれていたと言うんですね。
先ほど書いた大陸のサイズ等も、元々はナーカル碑文に書かれていた詳細なんです。
ムー大陸は実在したか
実はムー大陸は空想の産物で、実際は存在しなかったと言われています。
これは主に、海洋地質学の観点からみると、そもそも太平洋に過去大きな大陸が存在した痕跡自体が存在しないからなんですね。
子供の頃、この手のミステリーの本を読んでワクワクしていた人たちに取っては、何とも悲しい現実となっています。
特にここ20年ほどは、ムー大陸はただのファンタジーとしてのレッテルを貼られてしまった感は強かったんですね。
しかし、最近の研究で実はムー大陸だったんではないかと言われているスンダランドと言う古大陸の存在が急浮上してきました。
このスンダランド、厳密には東南アジアに存在したとされていますが、まだ地球が氷河期だった頃は海上にあったと言います。
それが、温暖化と共に海面の高さが上がり、最終的に海の底に没してしまった大陸と言う事までは判明しています。
この氷河期と言う時代を考えると、今から1万2000年前と言う事で、ムー大陸が沈んだ伝承と一致します。
こんな偶然があるんでしょうか。
個人的には出来ればこのスンダランドこそムー大陸だったと思いたいです。
現在ではムー大陸に関する研究は、再度このスンダランドの研究と紐づけられ、一から出直しと言う状況の様ですね。
最近では南極にも古代遺跡があったのではないかと言われていますが、まだまだ謎に包まれた超古代文明が存在していて欲しい物です。
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