三億円事件とは?──白バイ警官に化けた男が約3億円を奪い、迷宮入りした昭和最大の未解決事件

ひとりの「白バイ警官」が、わずか数分のあいだに約3億円もの現金を奪い去る。そして7年後、犯人は一度も捕まらないまま時効を迎えてしまう——。1968年に起きた「三億円事件」は、日本の犯罪史にいまも刺さり続ける、最大級の未解決事件です。

2026年1月10日には、刑事時効の成立から50年の節目として、NHKの『未解決事件』シリーズが「File.10 三億円事件」を放送し、ふたたび大きな注目を集めました。この記事では、事件の一部始終と、なぜ犯人にたどり着けなかったのかを、確かな記録に基づいて振り返ります。

白バイにまたがる警察官のイメージ
犯人は「白バイ警官」になりすまして現金輸送車を止めました(イメージ画像。実際の事件車両ではありません|ジョンドウ, CC BY-SA 4.0)

三億円事件とは──時効から50年、いまも犯人不明の昭和最大の知能犯

三億円事件とは、1968年(昭和43年)12月10日の朝、東京都府中市の路上で、銀行の現金輸送車がまるごと奪われた強奪事件です。

奪われた金額は、約2億9,430万円。当時としては途方もない大金でした。けれども本当に人々を驚かせたのは、その金額そのものよりも、犯行の手口の鮮やかさと、ひとりの犠牲者も出さずに完遂された「知能犯」ぶりでした。拳銃も刃物も使わず、ただ「変装」と「心理トリック」だけで大金を奪い去る——まるで映画のような事件だったのです。

1968年12月10日、雨上がりの朝に起きた犯行

その朝、日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車が、4人の銀行員を乗せて走っていました。東芝府中工場へボーナスを届けるための道中です。

午前9時20分すぎ、府中刑務所の塀沿いの道にさしかかったとき、白バイにまたがった一人の「警察官」が車を停止させました。男は「支店長宅が爆破された。この車にもダイナマイトが仕掛けられているという連絡が入った」と告げ、車体の下にもぐり込んで点検を始めます。

次の瞬間、車の下から煙と炎が上がりました。銀行員たちは「爆発する」と思い込み、いっせいに車から離れて避難します。その隙に男は何食わぬ顔で輸送車に乗り込み、そのまま走り去ってしまいました。実際には、爆発に見えたのは発煙筒による演出にすぎませんでした。犯行にかかった時間は、ほんの数分だったといわれています。

一万円札のイメージ
奪われたのは現金で約2億9,430万円。当時の貨幣価値では破格の大金でした(イメージ画像|David Pursehouse, CC BY 2.0)

奪われたのは、従業員4,525人分のボーナスだった

奪われた現金は、東芝府中工場で働く従業員4,525人分の年末ボーナスでした。被害額の正確な数字は、約2億9,430万7,500円と記録されています。

幸いだったのは、この現金に保険がかけられていたことです。そのため従業員のボーナスは保険によって支払われ、給料が消えてしまうような事態は避けられました。とはいえ、一企業のボーナスがまるごと一人の男に奪われたという事実は、社会に大きな衝撃を与えました。

「白バイ警官」という完璧な変装と心理トリック

この事件が「知能犯」と呼ばれる最大の理由が、犯人の心理を読む巧みさです。

犯人は、本物そっくりに白く塗装した盗難バイクにまたがり、白バイ警官になりすましていました。当時、警察官は絶対的に信頼される存在です。その「警官」が「爆弾が仕掛けられている」と緊迫した様子で告げれば、銀行員が指示に従ってしまうのも無理はありません。

つまり犯人は、暴力でお金を奪ったのではなく、「人は制服と権威を信じてしまう」という心理の隙を突いて、相手に自ら車を手放させたのです。誰も傷つけずに大金を奪うこの手口は、後の犯罪ドラマや小説に数えきれないほどの影響を与えました。

124点の遺留品──多すぎる証拠が、かえって捜査を惑わせた

犯人は現場に、おびただしい数の「物」を残していきました。偽の白バイ、発煙筒、ハンチング帽、磁石、脅迫状など、その数はおよそ124点にのぼります。

普通であれば、これだけ証拠があれば犯人にたどり着けそうなものです。ところが、これらの品の多くはどこでも手に入る大量生産品でした。さらに「これ見よがしに残された」とも受け取れたため、捜査をかく乱するための偽装ではないか、という見方も生まれました。皮肉なことに、多すぎる遺留品が、かえって犯人像を絞り込みにくくしてしまったのです。

1970年ごろの東京の街並み
事件が起きたのは高度経済成長期の日本。写真は1970年ごろの東京です(イメージ画像|Szilas, CC0)

延べ17万人・捜査費10億円──それでも犯人に届かなかった

警察は総力をあげて捜査にあたりました。記録によれば、時効までの7年間で動員された警察官は延べ17万1,346人、重要参考人として名前が挙がった人物は約11万人、そして捜査費用は9億7,200万円を超えたとされています。

奪われた金額の3倍以上を捜査につぎ込んでもなお、犯人を特定することはできませんでした。捜査本部はモンタージュ写真を作成して情報を広く募りましたが、決定的な手がかりにはつながりませんでした。

現在の東京都府中市の街並み
事件現場となった東京都府中市。いまはおだやかな街並みが広がっています(現在の府中市内のイメージ|excl-zoo, CC BY-SA 3.0)

有力容疑者と数々の説、そして二つの時効

捜査の過程では、一人の少年が最有力の容疑者として浮かび上がりました。けれども、その少年は事件の数日後に自ら命を絶っており、しかも物的証拠で犯行と結びつけることはできませんでした。結局、彼が犯人だと断定されることはありませんでした。

そのほかにも、作家の松本清張をはじめ、さまざまな人物が独自の推理や説を発表しています。けれども、どれも決め手を欠いたままです。

そして1975年12月10日、刑事事件としての時効(公訴時効)が成立します。さらに1988年12月10日には民事上の時効も成立し、三億円事件は法律上、完全に「終わった」事件となりました。犯人は、一円も使った形跡を残さないまま、歴史の闇に消えてしまったのです。

なぜ三億円事件は、半世紀を超えて語り継がれるのか

時効から50年が過ぎた今も、三億円事件が語り継がれるのはなぜでしょうか。

ひとつは、誰も傷つけずに大金を奪い去った「鮮やかさ」が、どこか物語のように人の興味を引くからでしょう。もうひとつは、これだけの捜査をもってしても真相にたどり着けなかった、という「解けなさ」そのものが、私たちの想像力をかき立てるからだと思われます。

2026年にNHKが膨大な捜査資料と新たな証言をもとに再検証を行ったのも、半世紀を経てなお残る「なぜ解決できなかったのか」という問いの重さを物語っています。犯人はもう、罪に問われることはありません。それでも私たちが今なおこの事件に惹かれるのは、完全犯罪という言葉の向こうに、人間の心理や時代の空気が透けて見えるからなのかもしれません。