最終更新日 4時間 ago by OKAYAMA
2026年5月、A24が公開したホラー映画『Backrooms(バックルームズ)』が、全世界で3億ドルを超える大ヒットを記録しました。けれどもこの物語には、原作小説も、原作漫画もありません。すべての出発点は、2019年にネット掲示板へ投稿された、たった1枚の不気味な画像でした。
この記事では、ネット発の都市伝説「Backrooms」がどのように生まれ、なぜ世界中の人々の不安をかき立て、ついには社会現象になったのかを、確かな記録に基づいてたどっていきます。

Backroomsとは何か──「現実をすり抜けた先」にある無限の空間
Backrooms(バックルームズ)とは、インターネット上で集団的に作り上げられた創作ホラー、いわゆる「クリーピーパスタ」のひとつです。
その世界観はとてもシンプルです。あなたが現実世界のどこかで「踏み外す」と、現実の裏側にある別の空間に落ちてしまう。そこは黄ばんだ壁紙と、古びて湿ったカーペット、そして蛍光灯がうなり続ける、果てしなく続く無人の部屋——それがBackroomsです。
出口はありません。地図もありません。ただ似たような部屋がどこまでも続き、そして「何か」がさまよっているかもしれません。この「閉じ込められる恐怖」と「日常的な風景なのに決定的に何かがおかしい違和感」が、世界中の人々の心をつかみました。
すべては2019年5月、4chanの1枚の画像から始まった
Backroomsの起源は、はっきりと記録に残っています。2019年5月12日、海外の匿名掲示板「4chan」のオカルト板(/x/)に、ある匿名ユーザーが「なぜか”ゾッとする”画像を貼ってくれ」というスレッドを立てました。そのとき添えられていたのが、黄色い壁紙の、誰もいないがらんとした部屋の写真でした。
ごく普通の空き部屋の写真です。けれども、どこか「あってはならない場所」のように見えてきます。この一枚が、すべての始まりでした。

「ノークリップ」──伝説を決定づけた一通の返信
その画像に、別の匿名ユーザーが返信を付けました。これがBackroomsの世界観を決定づけた、いわば「原典」の文章です。要約すると、次のような内容でした。
「もし不注意に、まちがった場所で現実を”ノークリップ”してすり抜けてしまうと、Backroomsに行き着く。そこにあるのは、古い湿ったカーペットの匂いと、単調な黄色の狂気と、蛍光灯がうなり続ける音、そしておよそ6億平方マイルにおよぶ、ランダムに区切られた無人の部屋だけ。もし近くで何かがうろつく音が聞こえたら、神のご加護を。それはもう、あなたに気づいているのだから」
「ノークリップ(noclip)」とは、もともとビデオゲームの用語で、壁などの当たり判定を無視してマップの外へすり抜けてしまう現象を指します。この「ゲームのバグのように現実を踏み外す」という発想が、デジタル世代の感覚に強く刺さりました。
なお、この文章を書いた作者は、数か月後の2019年9月22日に別の掲示板で名乗り出ています。ハンドルネームは「Black August」。彼によれば、この空間の着想は以前から頭の中にあったもので、画像が「部屋(rooms)」だったことから、その場で「Backrooms」と名付けたといいます。
原典の画像の正体は、ウィスコンシン州の改装中の店舗だった
長らく「どこの場所なのか」が謎とされてきた、あの最初の黄色い部屋の写真。実はその正体も、後に判明しています。
この写真は2002年ごろ、アメリカ・ウィスコンシン州オシュコシュにある店舗(後にホビー用品店「HobbyTown USA」が入居)の改装中に撮影されたものでした。もともとはその店の様子を記録した、何の変哲もない一枚だったのです。
つまりBackroomsの原点は、心霊写真でも事故物件でもなく、ごくありふれた改装中の店舗の記録写真でした。それが文脈を失って切り取られた瞬間、世界一有名な「異界の入口」に変わったのです。
なぜ「リミナルスペース」は人を不安にさせるのか
Backroomsを語るうえで欠かせないのが、「リミナルスペース(liminal space)」という言葉です。
リミナルとは、ラテン語で「敷居(limen)」を意味する語に由来し、「あいだ」「移り変わりの途中」を指します。もともとは人類学者アルノルト・ファン・ヘネップが、通過儀礼を論じる中で用いた概念でした。これがネット文化に取り込まれ、「廊下」「階段」「ロビー」「夜のショッピングモール」のように、本来は人が通り過ぎるだけの中間的な場所を、誰もいない状態で写した画像を指すようになりました。

リミナルスペースが不安を呼ぶ理由は、「見慣れているのに、いるべき人がいない」という点にあります。本来そこにあるはずの人の声や生活感が抜け落ちると、私たちの脳は強い違和感を覚えます。これは、心理学者フロイトが論じた「不気味なもの(独語でdas Unheimliche)」——親しみがあるのに、なぜか落ち着かないという感覚に通じます。
そしてこの感覚を、世界中の人が同時に体験する出来事が起こりました。2020年からの新型コロナによるロックダウンです。いつもにぎわっていた駅やモールが無人になった光景は、まさにリミナルスペースそのものでした。Backroomsとリミナルスペースのブームが一気に加速した背景には、この実体験があったと指摘されています。
16歳の少年が作った映像が、神話を爆発させた
文章と画像で広がっていたBackroomsを、一気に「映像作品」へと押し上げた人物がいます。アメリカのクリエイター、ケイン・パーソンズ(Kane Parsons、ネット上の名は「Kane Pixels」)です。
彼は2022年1月7日、YouTubeに『The Backrooms (Found Footage)』という短編を投稿しました。3DソフトのBlenderと映像編集ソフトのAfter Effectsを使い、わずか1か月ほどで作り上げた、まるで本物の発見映像(ファウンドフッテージ)のような作品です。驚くべきことに、制作当時の彼はまだ16歳ほどでした。

この最初の動画は4年で7,700万回以上、シリーズ全体では1億9,700万回を超えて再生されました。彼は単なる怖い映像にとどまらず、「アシンク研究所(Async Research Institute)」という架空の組織が1980年代後半にBackroomsを発見した、という独自の物語を作り込み、ネット発の断片的な伝説を、ひとつの長編的な神話へと育て上げたのです。
そしてA24で映画化、世界興収3億ドル超へ
ケイン・パーソンズの才能は、ハリウッドの目に留まりました。2023年2月、独立系の名門スタジオA24が映画化権を取得します。このとき彼は17歳でした。
そして2026年5月29日、彼自身が監督を務めた映画『Backrooms』がアメリカで公開されます。主演はキウェテル・イジョフォーやレナーテ・レインスヴェら実力派。結果は、全世界興行収入3億1,840万ドルという大成功でした。これはA24史上最高の興行収入であり、パーソンズは全米興行成績で1位になった史上最年少の監督となりました。批評家の評価も高く、レビューサイトでも好意的な評価が大半を占めています。
実際にどんな映像なのか、A24が公開した公式予告編をご覧ください。あの「黄色い部屋」が、どのようにスクリーンへ蘇ったのかがわかります。
掲示板の片隅に貼られた1枚の画像が、7年の歳月をかけて、世界一稼ぐインディースタジオの看板作品になった——これはインターネット時代ならではの「物語の生まれ方」だと言えるでしょう。なおBackroomsは映画だけでなく、ゲーム『Escape the Backrooms』(2025年)やテレビシリーズのエピソードなど、さまざまな形に広がっています。
Backroomsが映す、現代のこわさ
Backroomsの本当に興味深いところは、それが「みんなで作った怪談」だという点です。特定の作者が一人で書き上げた物語ではなく、無数の匿名ユーザーが画像を足し、設定を足し、映像を足して育てた——いわば集合知が生んだ現代の神話です。
そしてその恐怖の中身は、幽霊でも怪物でもなく、「終わりのない、意味を失った空間に一人きりで取り残される」という、とても現代的な不安でした。スマホをのぞけばいつでも誰かとつながれるはずなのに、ふと感じる孤独。Backroomsが多くの人の胸をざわつかせるのは、その感覚に、私たちが心当たりを持っているからなのかもしれません。
次にあなたが、深夜の誰もいない駅や、明かりだけがついた無人のオフィスに立ったとき。ほんの少し、足元の現実を「踏み外して」いないか——確かめてみてください。