1947年に死海付近の遺跡で見つかった文書
死海文書、もしくは死海写本とも呼ばれるこの書物は1947年に死海北西にある遺跡「ヒルベト・クムラン」で見つかったと言います。
内容の殆どは現在の旧約聖書に通ずる物が殆どで、言うなれば聖書の元ネタとでも言いましょうか、およそ972の写本群からなっていると言われていますね。
内容が内容だけに発見当時から非常に重要な書物とされ、時にオカルト関連で取りざたされたりもします。
しかし、その実中身に関して詳しく把握している人はあまり多くなく、名前は聞いた事があっても細かい部分に関しては調べた人で無いと上手に説明できないんではないでしょうか。
この事からも死海文書の謎や、その内容に関しても様々な憶測が飛んでいます。
死海文書は20世紀最大の考古学的発見
死海文書が見つかった当初より、主に考古学会ではとりわけ注目されました。
一説には20世紀最大の発見とも言われ、研究自体は今日まで続いています。
一言で死海文書と言っても、一つの洞窟からまとまって発見されたわけではなく近隣の洞窟からも写本が複数発見されています。
それらを総称して死海文書とくくりますが、厳密には内容を加味してどこからどこまでを文書と見なすかで総数は変わるようですね。
主にヘブライ語で書かれていて、その他一部古代アラム語で書かれていると言います。
このアラム語と言うのは大昔の言語で、それこそ紀元前の当時で用いられていた言語と言われていますね。
放射性炭素年代測定などにより、紀元前250年頃に書かれたとされていますが、誰が書いたかと言う部分が一つの謎とされています。
有力な説としては「クムラン教団」と呼ばれるグループが記したと言われていますが、その他「エルサレムのサドカイ派」の人物、もしくは未知の教団が該当すると言う説があります。
この文書が重要な価値を持つ一番の要因は、まだキリストが生まれる以前に書かれたユダヤ教に関する資料となりうるからですね。
世界中に信者を持つ現代のキリスト教の根幹が記されているのではと言う事から研究が続けられています。現状では全ての解読が済んでいるわけではないんですね。
死海文書の気になる内容とは
では気になるその内容はと言うと、まず大きくわけて三つに分類する事が出来ます。
- ヘブライ語聖書(旧約聖書)正典本文
- 「旧約聖書外典」と「偽典」とよばれる文書群
- 宗団文書
簡単に言うと上記の物になります。
1の本文は全体の約40%、2の外典と偽典は30%、3の宗団文書も30%程の内容となっています。
順番に見ていくと、1番はそのまま今日の聖書の元と言うか概要その物です。
2番目の外典と偽典は、聖典ではないとされトビト記、エノク書等が含まれていますね。
3番目は主にクムラン教団の教義や規律に関して書かれていると言います。本当にクムラン教団が書いたかと議論がなされているのでこの部分に関しては何とも言えませんが。
そして死海文書がミステリーやオカルトに顔を出す一番の理由として、内容の中に予言が含まれていると事が挙げられますね。
これは、現在の聖書の中にも盛り込まれていない部分があると言う前提の元、主にイスラエルに関する予言が描かれているとも言います。
代表的な部分を抜粋すると、「イスラエル建国より70年後までは混乱と破壊が横行する」と言う様な物です。
ちなみにイスラエル建国は1948年の事で、そこから70年と言うと2018年に当たります。今より2年後の事ですね。
中東と言うと武力の脅威や、治安の悪さがイメージされますがこれは2年後に収まると思って良いのかどうか。
余談ですが、70年の最後の方は津波や戦争が控えているとも言いますが。
クムラン教団とエッセネ派
死海文書を取り巻く謎で切り離せないのがクムラン教団について歴史です。
今から2000年以上も前に死海付近のキルベト・クムラン遺跡にて特殊な生活をしていた事が分かっています。
そもそも死海文書はクムラン教団が書いた可能性が高いと言うのは、記述されていた規律などが当時彼らが心棒していた物に近いと言う事に寄与しています。
非常に禁欲的で独身を推奨し、当時のユダヤ教の中核をなす「エッセネ派」の内の一つの集団と見られています。
ここにも異論は多くあるようですが、あくまで一番有名な説だと言う事ですね。
元々今のエジプトからパレスチナに移住して来た事も分かっていますが独自の瞑想法などを用いて予言などを行っていたと言います。
一気にオカルトチックになりましたね。
最終戦争と2人の救世主
話は死海文書の内容に戻しますが、この文書群が教義だとした場合やはりそこには事の顛末も書かれています。
「最終戦争」とも呼ばれるような勧善懲悪な戦いについて触れられ、中二的に分かりやすく言ってしまうと光と闇の対決が待っているとの事です。
そして、最終的には二人の救世主が登場しこの戦争に終止符を打つと言う内容になっています。
考古学的な資料として見た場合は古代の重要な記録、しかし、側面を変えて予言書や秘儀と見るとこの辺りの文面が一番取りざたされる部分と言えるでしょう。
本屋さんに行ってもこれに関する書籍は沢山ありますし、ネット上でも様々な物を見ることが出来ます。
救世主が二人現れると言うのも世界的に珍しい記述で、往々にしてこの内の一人は日本人から生まれると言う意見が強いですね。
突き詰めていくと「日ユ同祖論」や、その昔イスラエルの民は海を渡って日本に来たともされていますから、ユダヤ教の正当な子孫は日本に居ると言う事なんでしょう。
こうして文字にしてみると途端にエンターテイメントになってしまうのは仕方無い事かなと思いますが。
死海文書は膨大な学問
そろそろまとめようと思うんですが、いかんせん内容が内容だけに一つの学問の様ですね。
個人的な感想ですが、死海文書に関する記事は時間をかけて調べて今後も数回に分けて書いた方が良いかもしれません。
逆に言うとそれぐらい濃い内容なので、勉強する価値はあるかもしれませんね。
又別の機会にお触れてみたいと思います。
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