ノアの方舟がアララト山で見つかった話し
旧約聖書の創世記に出てくる有名な「ノアの方舟」の話は殆どの人が知っていると思います。
細部のディティールまでは知らなくても、大まかな流れは下記になります。
ノアと呼ばれた男性とその一族のみ行いが良かったので、大雨で人類を一掃しようとした神様はそのノアに指示を出します。
内容は方舟を作ってそこに世界中のあらゆる動物のつがいを載せて、大洪水に備えなさいと言うストーリですね。
聖書のスケールの大きさを分かりやすく伝える伝承として、様々な映画や書籍のモチーフにもなっています。
大洪水の中を約150日間漂った方舟は、その後今で言うトルコのアララト山に漂着したとあります。
このノアの方舟、実はアララト山の山中で発見されたと言うニュースが昔ネット上でも話題になりました。
ノアの方舟は実話だったのか
中国の夏王朝の話や日本の古事記等も古すぎてその真偽が寓話なのか実話なのかは見当がつかない事が多いですが、ノアの箱舟の聖書内の記述も同じように解明されていない神話だと思われてきました。
しかし、その方舟の残骸が見つかったと言うニュースが世に出たのは1973年です。
ランドサット一号と言う地球観測衛星が撮影した写真に方舟らしきものが写っていたからなんです。
4年後の1977年には正式な調査チームが派遣されて、考古学者のロナルド・ワイアットと言う人を筆頭にアララト山で船の形をした巨石を発見します。
その石にはロープを通した穴も有ったと言うから驚きですね。
その他錨に使われたと思われる石も発見されたとの事です。
又、少し年月が下った1984年には、ジョージ・ジャマルと言う方がアララト山の氷河の下に太古の木片を発見しました。
この木片がノアの箱舟に使われていた物ではないかと言う事で、当時のCBSのドキュメンタリーにも取り上げられています。
この段階でノアの方舟は現代での認知度が更に増した感じでしょうか。
その他話題になったニュースとしては、2010年にトルコと中国のカトリック系探検チームの「ノアズ・アーク・ミニストリーズ・インターナショナル」が木片を採取し、炭素年代測定で鑑定した所、約4800年前の物との結果が出ました。
ちなみにこのノアの方舟の残骸と思われる物はアララト山の標高4000メートルに位置していた様です。
ノアの方舟は実在したのか?
ではここからはその真相について書いてみようと思います。
結論から言うと、ノアの箱舟に関する実在説は非常に胡散臭い物が多いのが実情です。
先に挙げたロナルド・ワイアットが発見した方舟の残骸と思しき物も、その後の調査で他の岩等と同じ材質だったと言う事が発表されています。
錨だと思われた石も、実は真相はキリスト教徒は関係無い異教徒の礼拝所だったと言う事ですね。
ちなみにロープを通したとみられる穴はランプを置くための物でした。
更にロマンを壊す様に追いうちをかけられます。
ジョージ・ジャマルは後年自分の報告は全てフェイクだったと言う事を公表しています。
方舟の残骸と言われた木材も、実はカリフォルニアのビーチで拾った物を加工した物でした。
面白いのは、ジャマルの話の中には「Allis Buls Hitian」と言う人物が出てきますが、これは単純なアナグラム(文字の入れ替え)で、Lを追加して区切りを変えると「All is Bullshit」=「全てでたらめ」となります。
他にも2010年に採取された木材に関しては、黒海の沿岸から持ってきた物で、太古の建造物から一旦取り外した物をアララト山で再度組み立てたと言うから驚きですね。
この黒海沿岸の建築物も気になりますが(笑)
自然的に見るノアの方舟実在の可能性が低いわけ
ここまで出ても専門家の中には実在を推す人が多かったんです。
実際大昔の木で作られた建造物が形をそのままに自然に残ると言う事はあり得ません。
しかし、氷河の中にあったため風化を免れたと言う説が流行ったんです。
確かに氷の中にある物は風の浸食は受けないでしょう。
けれど氷河は実は動くものです。
太古の氷河の中に閉じ込められていたのがノアの箱舟なら長い年月の間にじわじわと氷もろとも移動し、計算すると現在はアララト山の麓にある事になります。
やはり現実を見ると方舟の実在は厳しいと言う所でしょうか。
ノアの方舟はアララト山に漂着していない?
意外と知られていない事ですが、実は旧約聖書の中には方舟はアララト山に漂着したとは一切書いてありません。
あるのは「アララトの山々」と言う大まかな所在です。
このアララトも、原文であるヘブライ語では元々アララテ、ウラルトゥとなり当時の王国を指しています。
ウラルトゥは紀元前6世紀~9世紀位に現在のトルコで興った国で、ジャノで有名なヴァン湖を中心に非常に広大な地域を納めた国なんですね。
その中には無数の山々が存在します。
つまり、アララト山と行っても現代の物では無くこの王国の中のどれかの山と考えるのが普通なんですね。
そうなると具体的に方舟がピンポイントで漂着した場所は一切不明なんです。
ノアの箱舟には元ネタがあった
旧約聖書が書かれた時代よりもさらに遡った紀元前4000年位に、当時のメソポタミアで書かれた書物に「ギルガメッシュ叙事詩」と言う物があります。
主にギルガメッシュの活躍を描いたこの一大長編、中に洪水伝説も出てきます。
それによると、ウトナピシュティムと言う男が神様のお告げに従い箱舟を作ったと言う話です。
ノアと同じように大洪水を方舟で乗り切ったウトナピシュティムは、7日後にニシル山に漂着し、鳩を飛ばして水の引きを確認するくだりも全く一緒の物が出てきます。
旧約聖書が書かれた時代よりも古い書物、ギルガメッシュ叙事詩の内容がどうして聖書に取り入れられるようになったのかと言うと、恐らくユダヤ人達がバビロンにとらわれていた「バビロン捕囚」の際に見聞きした伝説なんだと思います。
それを持ち帰ったユダヤ人達は後の聖書にも盛り込んだと言うのが定説ですね。
世界各地で見る洪水伝説
ノアの箱舟が実話だったかどうかは現在も不明のままとなってしまいましたが、少なくともアララト山で見つかった方舟の残骸は本物ではないでしょう。
それだけで方舟伝説は存在しなかったと決めつけるのは早計です。
世界各地で太古の洪水伝説が残っている事や、個人的にはスフィンクスの下部にあると言う大量の水に浸食された後と言うのも気になります。
大昔の地球で大洪水があったのは真実なのかもしれませんね。