今回はオーパーツの代表格、ナスカの地上絵に関して書いてみたいと思います。
南米ペルーのナスカ存在するこの不思議で巨大な地上絵は現在まで様々な仮説が唱えられてきました。
ナスカの地上絵発見に関して
正式に発見された年代は1939年の6月、考古学者のポール・コソック博士によります。
まだ航空業界も発達していなかった当時にこの地上絵が発見された事は非常に大きな功績と言えるんではないでしょうか。
その後、本格的に調査を進めたのはマリア・ライヒィと言うドイツの数学者です。
どうやらこの方、この地に住み込んでかなり長期的に調査を行ってくれたようですね。
沢山の謎を解明するための作業以外にも、ナスカの地上絵を保護しようと言う動きも同時に行い、現代でも地上絵が確認できるのはこの人の貢献が大きいと言えます。
最近でもグリーンピースと言う団体の行動が問題になったり、日本のテレビ局のクルーも地上絵の脇に寝そべったりと、保護の観点では騒がれる事も多いです。
実際、地上絵の存続に関しては深刻な状態にあるようで、メインの地上絵がある付近は基本的に立ち入るためには許可が必要になってます。
実は近年になっても新しい地上絵は幾つも発見されています。
2011年、2013年と二つずつ新しい地上絵が発見されたようで、その話の中で珍しいのは人間の頭部を描いた地上絵も見つかったと言う事です。
根強い宇宙船発着場説
非常にロマンのある話ですが、ナスカの地上絵がこんなに有名になったのも、宇宙人の乗る船の発着場ではないかと言う説です。
実際現代で言う所の飛行場の滑走路の様な地上絵もありますし、何より昔に空から確認する術が無かったのにも関わらず描かれていると言う点が余計にロマンを掻き立てます。
その説を更に助長する点としては、ナスカの地上絵自体が今だに何のために描かれたか分かっていないからですね。
もちろん宇宙船の発着場説も色々確立されるにはまだまだ解明しなければならない点が沢山あります。
不思議なのは当時この付近に生息していなかった生物の絵が描かれている点です。
山を越えた先に行かなければいなかった猿の絵などがその代表ですが、どうやって当時のナスカの民は猿を知る事が出来たんでしょうか。
この辺りの謎を解明する事が謎解明の一番大きな手掛かりになりそうですが。
ちなみに、最近の調査では宇宙船発着場説はどんどん可能性が低くなってきています。
その他の有力な説としては、天文に用いた説、雨乞い説、運動場説、祭事場説等沢山の物がありますが、個人的に思うのはやはり祭事場説では無いかなと言う所でしょうか。
今よりも精神性に重きを置いていたと思われる時代です。
濃厚や狩りに関する祈願を行った場所ではないでしょうか。