世界の七不思議の一つバビロンの空中庭園

超古代文明の話をする時に必ず出てくるのがこのバビロンの空中庭園です。
大昔に哲学者フィロンの制定した世界の七不思議の一つでもあり、話を聞いた感じでは確かに当時としては相当な技術を用いて作られた事が分かります。

ちなみに空中庭園と言うネーミングが非常に秀逸で、何も前知識が無い状態で聞くと宙に浮かんだ煌びやかな庭園をイメージするかと思いますが、実際は高層建築物の上層に設置されたためにこう呼ばれます。

どのような技術で砂漠に庭園を増設したか

現在のイラクあたりにバビロンの空中庭園の名残を見る事が出来ます。
作られたのはおよそ紀元前600年前後、当時のバビロンの王様でもあるネブカドネザル2世が建立しました。

意図としてはメディアと言う遠方よりバビロンに嫁いだ王妃アミュティスのために作らせたと言う事ですが、この王妃当時大変なホームシックにかかったと言う伝承が残っています。

バビロンは基本的に砂漠地帯ですから、緑がそこかしこにあるわけではなく、逆に当時のメディアは青々した都市だったと言う記録も残っています。
少しでもホームシックを紛らわせるためにネブカドネザル2世が考えたのが砂漠地帯に荘厳な庭園を造る事でした。

こうしてバビロンの空中庭園は造られ有名になったのです。

驚くべきはその庭園のスケールです。
宮殿の外側に高さ25メートルにも及ぶ階層を5段上に積み重ねたと言う事ですから、砂漠を歩いている人から見たら確かに庭園が空中にあるかのように見えたはずです。

現在とは違いこれほどの規模の庭園にはそれなりの灌漑装置が必要になると思いますが、一体どのような技術で水を上層までまんべんなく運んだのでしょうか。

ここに関しては現在でも研究が進んでいます。
そして明確な答えは出ていない状態で幾つか有力な説はありますが、あくまで説ですね。

一番唱えられているのが、らせん状に水をくみ上げるために専用の装置を作り、更に緩やかな傾斜でもってらせん状に水を運ぶ水路を作ったと言う説です。
物理的には恐らく可能だと思います。
ユーフラテス川等から水さえ引いてしまえば上層の庭園まで水を運ぶことは出来ると思いますが、これが現実にあった方法だとすると当時のバビロンの技術は超古代文明と言っても差し支えないと思います。

もう一つの説は、ロバなどの動物による運動エネルギーで水を上層まで運んだ説です。
中世の水車の様なイメージで、何頭かの動物に大きな歯車を回させ、その時生じるエネルギーで水を上層まで運んだと言う説ですね。

上記と同じくこの説も十分可能だと思いますが、当時のバビロンにはどう言う動物が存在していたのでしょうか。
それこそロバ?馬?ラクダ?
この辺も更に研究が進まないと何とも言えませんがどちらにしろ高度に発達した建築技術が紀元前には存在していたと言う事です。

栄華の終焉と消えた空中庭園

記録に残っているのは紀元前538年にペルシア軍の侵攻により破壊されたとありますが、もったいないですね。
フィロンの七不思議で現在も残っているのはギザのピラミッドだけですが、この時破壊されなければもっと空中庭園の名残は残っていたかもしれません。

一応当時の書物に登場するのは「プリニウスの博物誌」と言う有名な歴史書のほか、何人もの人が記録に残しています。

古い建築物ですから多少の尾びれは付いていたとしても荘厳な空中庭園があったのはほぼ確定でしょう。
当時のバビロンは現在から見たら超古代文明と言えるような技術がもっと沢山あったのかもしれませんね。

バビロンの空中庭園
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