不老不死のサンジェルマン伯爵の謎

歴史のオカルトに必ず登場するサンジェルマン伯爵

人類史の中で最も謎に包まれた人物と言っても過言では無いサンジェルマン伯爵です。
なによりこの人物が有名なのは、不老不死であるとか、数々のオカルティズムに精通していると言った部分です。

現在でもその名前は非常に有名で、数々のエンターテイメント作品に登場するだけでなく、必ずオカルトな話には登場する様な人物ですね。
日本でもその名聞いた事がある人は多いと思います。

サンジェルマンについて分かっている事

意外な事にサンジェルマン伯爵についてはその出自や、一定の期間の足跡などは結構記録に残っています。

母親は当時のスペイン王妃だったマリー=アンヌ・ド・ヌブール、父親は貴族のメルガル伯爵だと言われています。
総じて後年もその潤沢な知識がもてはやされる事の多かったサンジェルマン伯爵ですが、一説にはこの出自の環境が影響しているとも言われていますね。

高い教育レベル、教養を見につける事の出来る下地があったと言う事でしょう。

他にもルーマニア王家に関連する出自だったり、ポルトガル系ユダヤ人とする説も存在します。

又、より神秘的に感じる部分として、当時の科学や錬金術の他にも高度な音楽知識と技術を有していたと言われています。
音楽はある意味貴族のステータスでもありましたから、演奏レベルも高いとなるとそれだけで身なりが良いと思われる時代でした。こういった背景もあって有名になったんだと思います。

彼が世の中に認知されるようになったのは1758年前後の事と見られ、年齢は67歳の頃と言われています。
前述した出自に関する話や、数々の知識はこの頃に判明した事なんですね。

その当時かれに会った人々の目にはとても60代には見えなかったと言われています。
もっと若々しく、それだけで人を惹きつける魅力を持っていたのかもしれません。

最初にサンジェルマン伯爵と会った際の感想が記録として残っている人物は、作曲家のジャン・フィリップ・ラモーです。
回顧録の中で彼は以下の様に述べていますね。

「サン・ジェルマン伯爵というのは不思議な人物だ。50歳ぐらいに見えたが、あるいはもっと若いかも知れないし、逆にもっともっと年をとっているのかも知れない。恐ろしく話題が豊富で、ついつい話にひきこまれていく。彼と話しているとなんだか時間を超越した世界に生きているような気がしてくる……」

引用元:http://inri.client.jp/

これは1710年頃の事とされていますが、その時点で50歳だったとしたら歴史に登場する1758年には100歳近くになっているはずです。
既にこの時点で謎がいっぱいの人物なんですね。

他にもラモーと同じ時期に会ったと言う証言が残っている人物にジョルジ伯爵夫人の逸話があります。
サンジェルマンとはヴェネチアで会ったと言う事ですが、その時の印象はやはり50歳前後の年齢と言う事でしたが、その後40年後にパリのポンパドールで再会します。

しかし、まるで外見が40年前と変化して居なかった事に夫人は驚いたと言う逸話が残っています。
更には4ヴェネチアで会話した時の内容もちゃんと覚えており、当時旦那がイタリア大使をしていた事にも言及したと言われています。

ルイ15世に信頼されたサンジェルマン

歴史上の記録では1746年頃までロンドンでヴァイオリニスト兼作曲家として活動していたサンジェルマン伯爵、その後10年ほどは空白の期間が存在しますが、1758年にパリに現われます。
具体的には王宮に努めていたマリニー侯爵に会い、研究所として王宮管理の建物使用許可を申請している記録があります。

そ見返りは当時の王様ルイ15世に、「人類が知る中で最も豊かで希有な発見を約束する」と言う物でした。
こうして当時空き家になっていたシャンボール城をあてがわれ、複数名の使用人や助手も付けもらいました。

ちなみにロンドンからパリに至るまでの約12年ほどの間に、チベットを始めとする東洋に来訪していたと言う噂や、錬金術を見につけたと言われています。
ここはあくまで後年の憶測になりますが、サンジェルマンを語るうえで重要になるオカルティズムはここに起因すると言う意見が多いです。

話は戻って、シャンボール城での研究がどうなったかは定かではないですが、結局人づてに類15世に面会する事になったと言います。
サンジェルマン伯爵の聡明な知識の量に王は大変驚き、すぐに信用を得る事が出来ました。

しかし、そこは当時の複雑な王政が背景にあり、二人の関係を妬む人物も現れます。
サンジェルマンの信用を失墜させるために、彼に返送させた道化の部下を毎夜各地のサロンに登場させ、意図的に荒唐無稽な話をさせたんです。

その結果どうなったかと言うと、信用が失墜するこにはならず、逆にその突拍子も無い話が逆に注目を集める様になってしまったと言う事ですね。
俗に言うソロモン王にあった事があると言う逸話や、シヴァの女王に会ったと言う話もこの時の物だと思われます。

サンジェルマン伯爵のこの手の逸話が現代まで残っているのは、この時の名残だと思います。
どれだけ当時のヨーロッパで話題になった人物だったかが伺いしれますね。現代の様にテレビもネットも無い時代でしたから、口コミで噂が広がる際にも更に尾ひれが付いた向きもあるんではないでしょうか。

王宮を追われてから死ぬまで

王宮側の観点で言うと、やっとサンジェルマンを追い出す事が出来たのは1760年代と言われています。
スパイ容疑をかける事で、彼の信用を失墜させたんですね。

その後はオランダを始めイギリス、ドイツ、イタリア等を放浪したと言われていて、その際も自分の開発した顔料の色彩に関する研究結果をプロモーションしようとしていた事が分かっています。
その研究の内容がどの様な物かは分かりませんが、今にして思えばアバンギャルドな物だったんじゃないかなと思うんですが。

晩年はドイツのヘッセンに身を落ち着けて、領主の下で暮らしたと言われています。
一応死去したとされる年は1766年、享年は96歳となっていますが、ここまで詳細な記録が残っている人物が不老不死と言われるのもミステリーですね。

裏を返せば、この後歴史上に再登場する事はありません。
こうして書くと意外にあっけない終わりの様な気がしますが、噂では今でも生きていて、ひっそりと社会に溶け込んでると言う都市伝説もあります。

サンジェルマン伯爵に関する逸話の数々

4000年も生きていたと言われているサンジェルマン伯爵には、数々のミステリーが付きまといます。
以下は代表的な物です。

  • 世界中のあらゆる言語を話せた
  • ダイヤモンドの傷を修復する方法を知っていた
  • ソロモン王に会った事がある
  • シヴァの女王にあった事がある
  • アレクサンダー大王とあった事がある
  • キリストと会った事がある
  • 十字軍に参加したことがある
  • 催眠術に詳しく自分が消えた様に見せる事が出来た
  • あらゆる楽器に精通していた
  • 他にも絵画、演劇、詩、歴史に非常に詳しい

この他にもまだまだ逸話は沢山ありますが、当時のヨーロッパの人々には稀有な存在として映ったはずです。
彼が不老不死を体現した方法として言われているのが、専用の霊薬のみ口にする事で通常の食事を一切しなかったと言われています。

実際に社交界でもサンジェルマン伯爵が何かを食べているのを見た事が無いと言う人が多かった事も記録に残っています。
最も、この逸話も後世につけられた可能性はありますが、錬金術を極めた人物として当時の研究家達のロマンだった永遠の命を手に入れたとされていたんですね。

最近の研究では、薔薇十字団イルミナティに属していたとされています。
当時より世界の裏で暗躍した秘密結社の一員で、あらゆるオカルトに精通してたとも言われています。

1800年代に入ると、ナポレオン3世が彼に興味を示し、当時の警察にあらゆる資料を集める様にと発令したそうです。
そうして長年集められたサンジェルマン伯爵に関する記録は、テュイルリー宮殿に納められていましたが、火災で全て消失してしまいました。

この資料が残っていれば更に突っ込んだ部分も判明していたと思いますが、勿体ないですね。

この様に「不老不死」、「時を旅する人」など等あらゆる二つ名を冠する事になったサンジェルマン伯爵は、世界の謎の一つとして今でも語り継がれています。

サンジェルマン伯爵
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