世界的に有名なイースター島のモアイ像に関しての詳細を書いてみようと思います。
エジプトのピラミッドや万里の長城と同じように、実際にその場に行ってみた事が無い人でも認知されている建造物だと思います。
モアイの今なお残る超古代文明説
チリ領にあるイースター島にモアイは建立されています。
この島の名前の由来はキリスト教の生誕祭にあたるイースターの日に発見されたことから、そのままイースター島と名付けられました。
モアイ像が立っている場所は、島の中でも高台にあたるアフと呼ばれる地域でその殆どは海洋に背中を向けた状態で建立されています。
平均してその高さは3メートルにも及び、重量は20トンにも及ぶ物が数多いですが、中には20メートルにも及ぶモアイもある様です。
その総数としては約900体近くの数が確認されており、写真などで良く目にするモアイ像群は近代に入って復元されたものの様ですね。
今回調べたところ、水中にもモアイは存在するようですね。
又、その他の特徴としてモアイは作られた年代で様式が変わっている事が確認されています。
初期の物に比べて後期に作られた物の方が段々と大型化しているようですね。
人間を模した顔の表情も、初期の方が人間により近いですが、後期になるにつれて面長になっていく特徴もあります。
中には帽子をかぶったかわいらしいモアイもあり、主にそれらはプカオと呼ばれる帽子を被っています。
少数ではありますが、目が入ったモアイも存在します。
一体モアイは何のために作られたのか
元々古代文明の調査を専門に行う方々の研究結果によると、祭祀目的で建てられたと言う見方が有力な説でした。
しかし、今だに明確な結論が出ていない事なので、あくまで調査の結果によって今後答えが出ると言った所でしょうか。
最近一番有力な親切としては、モアイの立っている場所の付近から大量の人骨が出て来た事により、墳墓説が濃厚の様ですね。
個人的には元々超古代文明の書籍に多くその姿を見ることが出来たモアイですから、何かその建立にまつわる背景としてはやはり古代の先人の知恵で建てられたみたいな物の方がロマンがあって良いと思ってました。
ムー大陸とかと関連づけられた事も多くありましたが、今の文明が出来るはるか以前に技術的にも進んでいた超文明があったと思うと面白いんですが。
当時から続いて長期的に調査が行われているモアイですから、自分が子供の頃と比べても大分色々な事が分かって来ている様ですが、調べてみると超古代文明でなくとも先住民が立てることは可能だったのかなと言う気もしています。
モアイ像の建設方法
そもそもモアイの材料は凝灰岩と言う石で出来ています。
これはラノ・ララクと言う島の火山の噴火口跡で掘削されて作られた事が分かっています。
現在でもラノ・ララク付近では当時モアイの製造過程に用いられた道具や、建設途中で遺棄されたモアイも複数見つかっています。
一番モアイに関して謎とされているのが、運搬方法です。
ラノ・ララクで製造されたモアイがどのようにしてアフまで運ばれたと言う事が大きな論点になっています。
当初の方法論として、木のころを活用して横にしたモアイを現地まで運んだと言う説がありました。
イメージ的にはピラミッドの巨石を運んだ際のころを活用した運搬方法と同じですが、実際ヘイエダールと言う考古学者の方が現地で実施調査して解明した様です。
この方法は現地の方の協力も得て行い、一応当時の技術水準でも可能との結論です。
その他の伝承に残る運搬方法として、ミロ・マンガエルアと言う木を使った石づちを通して運ぶ方法もあったようです。
ここも、最新の研究結果によってモアイは制作後すぐに立たされ、その状態のまま現地まで運搬する方法が発見sあれました。
この方法の方が人員を割かなくても済むうえ、効率が良いと言う事が証明されています。
モアイにまつわる超古代文明説
現代でも主に運搬方法に関しては様々な議論が展開されていて、その中には超古代文明でなければモアイの建立は不可能だったと言う人も数多く存在します。
一番それを後押しする説としては、運搬に使った木や縄の原材料がイースター島では採取出来ないと言う物がありますね。
当時の気候や、植物の生態系を加味していない事がこの説の弱い所でもありますが、確かに上記の方法でモアイの運搬方法もある程度概要が判明したとしても若干無理があるような気がします。
やはり、当時の文明は今よりも進んでいて、何か地球外の文明が後押ししてくれたと考える方がすんなり行く気もします。
このイメージは後年つけられた一人歩きした説かもしれませんが、やはりロマンがあるので個人的には捨てがたいです。