マーライとは?東南アジアに1500年伝わる「飛ぶ頭」の妖怪の正体

最終更新日 2日 ago by OKAYAMA

東南アジアの山あいの村に、「夜になると頭だけが胴体から離れ、内臓を垂らしたまま空を飛ぶ」という恐ろしい妖怪の言い伝えがあります。

ベトナム中央高原の少数民族ジャライ族の間では、これを「マーライ(ma lai)」と呼びます。昼間はごく普通の村人にしか見えず、夜にだけ「それ」に変わる——そんな存在が、現代になってもなお村落社会の秩序に影を落とし続けているのです。

しかもこのマーライ、近隣諸国にも名前を変えた同じ型の伝承が広く分布しており、19世紀末にイギリスの植民地官僚が採録した民俗誌や、江戸時代の日本の百科事典『和漢三才図会』にまで記述が残っているんです。

単なる怪談の一つではなく、アジアの精神史を貫いて流れる「飛ぶ頭」の長い系譜。今回はそんなマーライの実像について、民俗学や古典文献、現代の人類学の視点から詳しくご紹介していきます。

マーライとはどんな妖怪か

ベトナム中央高原の山村
ベトナム中央高原・マンヤン県の山村。ジャライ族が暮らす地域の風景。
Photo: Lee Aik Soon / Unsplash, CC0 via Wikimedia Commons

マーライはベトナム中央高原、とくにジャライ族(Jarai)バナ族(Bahnar)といった少数民族の間で信じられてきた存在です。ジャライ族はオーストロネシア語族マラヨ・ポリネシア系に属する民族で、中央高原のジャライ州を中心に、国境を越えてカンボジア側にも居住する古い山地民として知られています。

彼らの世界観の中で、マーライは次のように語られています。

  • 昼間は普通の人間と変わらない容姿をしている
  • 夜になると頭が胴体から離れ、内臓を垂らしたまま空を飛ぶ
  • 人間の糞便を見つけるとそれを食べ、排泄した当人を特定して内臓を抜き取る
  • 目をつけられた者は原因不明の衰弱や病に倒れ、やがて亡くなってしまう
  • マーライの正体は「普通の村人」——つまり隣に住んでいる誰かが、夜だけそれになる

ここで大事なのは、マーライが単なる子供向けの怪談ではないということです。この信仰は病気や不審死の原因を説明する体系として、村落社会の中で長く機能してきました。疫学も医学も普及していない時代の山村において、「なぜあの人は突然衰弱したのか」を説明する論理として、マーライ信仰は根深く生き続けてきたのです。

東南アジアに広がる「飛ぶ頭」の妖怪たち

東南アジアの飛ぶ頭妖怪クラスー
クラスー(タイ)/ペナンガラン型の飛ぶ頭妖怪を描いた図。
©Xavier Romero-Frias, CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons

マーライは、ベトナムだけで語られる孤立した信仰ではありません。ほぼ同じ特徴を持つ妖怪が、東南アジア広域にわたって名前を変えて存在しているのです。

地域名称特徴
マレー半島・シンガポールペナンガラン(Penanggalan)酢の樽で修行した女性魔女が夜に頭と内臓を分離させる。産婦・新生児の血を狙う
タイクラス(Krasue/กระสือ)内臓が光りながら飛ぶ。水牛や家畜の血も襲う
カンボジアアープ(Ahp/អាប)産婦のそばを飛び、胎児を食う
ラオスピー・カスー(Phi Kasu)タイのクラスとほぼ同一
インドネシア(バリ等)レヤック(Leyak)/クヤン(Kuyang)黒魔術の使い手。内臓を光らせて飛ぶ
フィリピンマナナンガル(Manananggal)「切り離す者」の意。上半身と下半身が分離する
ベトナム中央高原マーライ(Ma lai)便を介して標的を特定し、内臓を抜く

どの国の伝承にも共通しているのが、「女性」「夜」「頭部が胴体から離れる」「内臓を垂らして飛ぶ」「血や生体組織を狙う」という要素です。東南アジアの比較民俗学では、これらを一つの系譜上に並ぶ「飛頭型吸血妖怪(flying head vampire)」として扱います。

原典を遡る——19世紀の民俗誌が記録した姿

ヒカヤット・アブドゥッラー1849年初版
『ヒカヤット・アブドゥッラー』1849年第一版の一頁(ジャウィ文字)。
出典: Singapore National Library / Public Domain via Wikimedia Commons

『ヒカヤット・アブドゥッラー』(1849年刊)

マレー世界の古典『ヒカヤット・アブドゥッラー(Hikayat Abdullah)』は、ムンシ・アブドゥッラー・ビン・アブドゥル・カディルが1843年頃に完成させた回想録で、1849年に出版されました。近代マレー文学の出発点とされる重要文献です。

この中にペナンガランが登場します。「夜に飛ぶ首」の起源伝説として、「ある女性が悪魔に身を捧げ、その魔術によって夜になると首と内臓だけを分離させるようになった」と語られている部分は、当時この書に触れたイギリス人総督ラッフルズを大いに面白がらせたと記録されています。

W.W.スキート『Malay Magic』(1900年)

イギリスの植民地官僚ウォルター・ウィリアム・スキート(Walter William Skeat)が1900年に刊行した『Malay Magic』は、マレー半島の超自然的信仰を体系的に記録した最初の民俗誌とされています。

同書ではペナンガランが「夜に飛ぶ女の頭で、内臓を引きずり、嬰児と産婦の血を求める」と記述されており、これが学術的文脈における最古級の記録とされ、以降の民俗学研究の基礎文献となっています。

中国・日本にも届いていた——飛頭蛮という系譜

和漢三才図会 飛頭蛮
『和漢三才図会』(1712年)に描かれた「飛頭蛮」。江戸期日本の百科事典が南方の「飛ぶ頭」伝承を収録した証拠。
寺島良安 編 / Public Domain via Wikimedia Commons

ここでさらに興味深いのが、「飛ぶ頭」の伝承が東南アジアだけにとどまらず、中国や日本の古典文献にもしっかりと記録されているということです。

中国古典における飛頭蛮

中国では古くから、この種の妖怪を「飛頭蛮(ひとうばん)」または「落頭民(らくとうみん)」と呼んできました。

  • 『捜神記』(東晋・4世紀):呉の将軍・朱桓の下女について、「夜になるとしばしば頭部が飛び回り、胴体は冷たくなり呼吸は微かになった」と記されています
  • 『南方異物誌』(唐代):嶺南地方の飛頭蛮は「首に赤い傷跡があり、耳を翼のように使って飛び、虫を食べる」とされています
  • 『太平広記』(北宋・978年編纂):「飛頭獠」として記載され、「川岸でカニやミミズの類を食べる」と描写されています
  • 『三才図会』大闍婆国(ジャワ島)に頭を飛ばす者がおり、「目に瞳が無い」「現地では『虫落』『落民』と呼ぶ」と記述されています

注目すべきは、『三才図会』がジャワ島をこの伝承の生息地として名指ししている点です。これは現代のインドネシアに伝わるレヤック信仰と見事に一致します。つまり数百年前の中国の知識人もまた、この妖怪が南方から来るものであると認識していたということなのです。

『和漢三才図会』(1712年)への流入

江戸時代中期、大坂の医師・寺島良安が編纂した日本の百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』(正徳2年=1712年成立、全105巻81冊)は、中国の『三才図会』を下敷きに日本独自の情報を加えた類書として知られています。

この中に飛頭蛮の項が立てられ、中国・ジャワ島の伝承がそのまま日本の知識層にも紹介されました。つまり江戸時代の日本人は、すでにこの「南方から来る飛ぶ首」について書物を通じて知っていたということになるのです。

ろくろ首との深い関係

日本のろくろ首は、しばしばマーライの日本版として紹介されますが、民俗学の上では首が長く伸びる型(抜け首ではない)と、頭そのものが離れて飛ぶ型(飛頭型)が混在してきたことが知られています。

興味深いことに、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』(1776年)では、ろくろ首に漢字として「飛頭蛮」を当てている例があり、中国由来のこの概念が日本のろくろ首像の形成に影響を与えていたことが確認できます。

つまりマーライ、ペナンガラン、クラス、飛頭蛮、ろくろ首——これらはバラバラに発生したよく似た妖怪ではなく、南方アジアから中国を経由して日本にまで伝播してきた、一つの文化的な系譜の上に並んでいる存在だと見ることができるわけです。

なぜ「飛ぶ頭」なのか——民俗学の3つの仮説

鳥山石燕 画図百鬼夜行 ろくろ首
鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)のろくろ首。石燕はこの絵に「飛頭蛮」の漢字を当てており、南方飛頭伝承の日本への流入が確認できる。
Public Domain via Wikimedia Commons

それにしても、なぜ東南アジアから中国、日本にいたるまで、これほど広い範囲に「飛ぶ頭」の伝承が広がっているのでしょうか。民俗学や文化人類学は、これに対していくつかの仮説を提示しています。

(1) 産褥死・乳幼児死亡の説明体系

ペナンガラン、アープ、クラスなどの伝承が一貫して「産婦と新生児の血を狙う」という点は注目すべきポイントです。近代医学以前の東南アジアでは、産褥熱(分娩後の細菌感染)や新生児死亡が極めて多かったことが分かっており、その原因を説明する文化的な装置として「飛ぶ頭」が機能していた可能性が、民俗学でも指摘されています。

(2) 社会的統制メカニズムとしての機能

マーライやペナンガランは、常に「普通の村人が夜だけ妖怪になる」という構造を取っています。これは村落社会における逸脱者や異質な存在への疑いの装置として機能してきたと考えられます。独居の高齢女性、夫と死別した女性、外から来た者などが「あの人はマーライではないか」と疑われていく構造は、アジア各地の魔女狩り伝承ともよく似た形をしています。

実際、ベトナム中央高原では過去にこの信仰に基づく告発・暴力事件が報告されており、政府や地方行政による少数民族への啓発活動も行われてきたとされています。ma lai信仰は現在では公的には「迷信」として扱われていますが、山間部や高齢世代の間では今も根強く残っているという人類学的な報告があります。

(3) 夜行性動物の誤認という解釈

東南アジアには、夜間に光を放つ昆虫(ホタル類)や、月明かりに長い尾羽を翻して飛ぶ鳥類が数多く生息しています。クラスやレヤックの「光る内臓を垂らして飛ぶ」というイメージは、こうした自然現象の誤認と、民間の幻想が結びついて生まれた結果だという解釈もなされています。

現代のマーライ——映画・SNS・観光資源として

バリ島バロンダンス ランダ
バリ島の舞踏劇に登場する魔女ランダ(左)とバロン(右)。レヤック信仰が観光文化資産として継承された姿。
©Alain Secretan (ASITRAC), CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons

現在、東南アジアの「飛ぶ頭」は、すでに民間信仰の域を超えて、ポップカルチャーの主要キャラクターにもなっています。

  • タイではクラスを題材にした映画が繰り返し製作されており、代表作に2002年の『Demonic Beauty(Tamnan Krasue)』、2019年の『Inhuman Kiss(クラス/インヒューマン・キス)』があり、後者は第92回アカデミー賞外国語映画賞のタイ代表作品にも選出されました
  • インドネシアでは、レヤックと対になるバリの守護獣バロンが舞踏劇「バロンダンス」の主役として観光客向けに上演されており、レヤック型の妖怪が文化資産としてすっかり定着しています
  • フィリピンの長寿ホラー・シリーズ『Shake, Rattle & Roll』(1984年第1作、現在までに17作)は、第1作収録の短編「マナナンガル」によって同妖怪を象徴的なモンスターとして印象づけました
  • SNSでは「ペナンガランを見た」「クラスの写真を撮った」といった投稿が今も定期的に拡散しています

その一方で、現代ベトナムのジャライ族の間ではma lai信仰は衰退傾向にあるものの、高齢世代や離村社会では今も信じられているという人類学的報告があります(参考:箕曲在弘『東南アジアで学ぶ文化人類学』など、東南アジア民族誌研究)。

まとめ——「飛ぶ頭」はアジアの精神史そのもの

マーライを一つの妖怪として見れば、それは東南アジアの奇妙な伝承のひとつに過ぎないかもしれません。しかし視野を広げてみると、4世紀の中国『捜神記』から、18世紀日本の『和漢三才図会』、19世紀マレー世界の『ヒカヤット・アブドゥッラー』、20世紀のスキート民俗誌、そして21世紀のタイ・ホラー映画まで——「夜に飛ぶ女性の頭」というイメージが、アジア各地を少なくとも1500年以上にわたって縦断してきたことが見えてきます。

それは単なる怪談ではなく、病気の原因を説明し、共同体の秩序を維持し、見知らぬ隣人への疑念を形にするための、アジアに通底する文化的な装置だったのかもしれません。

ベトナム中央高原の山村に今も静かに息づくマーライの影。それは私たちがろくろ首の絵を眺めるときに感じる不思議な違和感と、実は同じ源泉から湧き上がっているものなのかもしれません。

マーライに関する新たな情報や研究が出てきたら、またみなさんにもご紹介したいと思います。

参考文献・出典

  • Munshi Abdullah, Hikayat Abdullah(1843年完成/1849年刊)
  • Walter W. Skeat, Malay Magic: An Introduction to the Folklore and Popular Religion of the Malay Peninsula, Macmillan, 1900
  • 寺島良安『和漢三才図会』正徳2年(1712年)成立、全105巻81冊
  • 干宝『捜神記』(東晋・4世紀)
  • 李昉ほか編『太平広記』(北宋・978年)
  • 鳥山石燕『画図百鬼夜行』(1776年)
  • Jarai民族誌研究、中央高原の精神世界に関するベトナム民族学論文(Academia.edu公開資料ほか)
  • 箕曲在弘『東南アジアで学ぶ文化人類学』(地域で学ぶ文化人類学シリーズ)

画像クレジット

  • ベトナム中央高原の村: Photo by Lee Aik Soon via Unsplash / Wikimedia Commons (CC0)
  • クラスー/ペナンガラン: ©Xavier Romero-Frias, CC BY-SA 3.0 via Wikimedia Commons
  • 『ヒカヤット・アブドゥッラー』1849年初版: Singapore National Library, Public Domain via Wikimedia Commons
  • 『和漢三才図会』飛頭蛮 (1712): Public Domain via Wikimedia Commons
  • 鳥山石燕『画図百鬼夜行』ろくろ首 (1776): Public Domain via Wikimedia Commons
  • バリ島バロン&ランダ: ©Alain Secretan (ASITRAC), CC BY-SA 4.0 via Wikimedia Commons

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