メアリー・セレスト号の船員は一体どこに消えたのか
メアリー・セレスト号事件とは現在でも今からおよそ150年前に起きた船舶に関する不思議な事件です。
大雑把に言うと海上を漂う船を別の船が発見し、乗り込んでみた所船員が誰も居なかったと言う物です。
船は破損個所も見当たらなく、十分に航行できる状態であった事からなぜ船員が皆いなくなっていたかが不明です。
メアリー・セレスト号事件がオカルトの側面を持つのは、こうした人っ子一人いなくなった船舶の中に、今まさっきまで誰かが居たような痕跡が多く残されていたからです。
テーブルの上にはまだ温かい朝食があり、洗面所には誰かが髭を剃ったばかりの痕跡もあったとか。
又、唯一船内にオウムだけ残っていたと言う説もありますが、大海原で人が一斉に消える。なおかつさっきまでいた痕跡があると言う事で注目されたんですね。
現在でも映画や小説の題材になったり引き合いに出される事が多いです。
メアリー・セレスト号は元々いわくつきだった?
メアリー・セレスト号が発見されたのは1872年12月4日の事とされています。
場所はポルトガル沖で、発見された時は先に説明した通り無人の状態でした。
この事件のおよそ一ヶ月前にニューヨークからイタリアのジェノバに向けて出港した記録は残っています。
その際の主な積荷は工業用メタノール等で、これは当時のアメリカ企業メッシナ・アッカーマン&コインから輸送される予定の物でした。
判明している乗員は船員が7名、ブリッグス船長とその妻と娘の合わせて10名でした。
個人的には船員7名と言うのは少ない気もするんですが、当時はこれぐらいの人員が一般的だったんでしょうか。
この船が建造された当初は「アマゾン号」と言う名前で、後にメアリー・セレスト号に改名されていますがそもそも建造の段階で何度も事故が多発したとも言われています。
ここ関しては真相は闇の中で、実際どの様な事故がどれぐらい起きていたのかは不明です。後世になって後付された可能性も高いですね。
メアリー・セレスト号の大きさは全長約31メートルで帆は二本のブリガンティン型船舶でした。
航行技術も大分発展して来たとは言え当時はまだまだ帆船ですね、エンジンの登場はもう少し後の事です。
日本でも欧米でも船舶にまつわる迷信は古くから多く、死と隣り合わせと言う場所が大海原でしたから当時のこうした背景が相まってなおの事メアリー・セレスト号事件はオカルトとして有名になったのかもしれませんね。
メアリー・セレスト号発見時の詳細
実はメアリー・セレスト号を発見したのは元々この船の船長と親しいモアハウス船長でした。
モアハウスが乗っていた船はデイ・グラツィア号で、これはイギリスの船舶でした。
メアリー・セレスト号がニューヨークに停泊していた時は隣合わせに停まっていた船です。
後に判明した事はモアハウス船長はセレスト号の船長ブリッグスと会食をした事もあるほど仲が良かったんですね。
お互いニューヨークを出発したのも1週間程の差しかなく、先に出たのがメアリーセレスト号でした。
ポルトガル沖で発見した際には遭難信号は出ていなかったため、漂流中と見られ最初2時間程は遠巻きから様子を観察するとどまりました。
しかし、あまりにも人の気配が無い。これはいよいよおかしいぞと言う事になって乗り込んでみると、冒頭で書いた様に誰もいない状況だったんですね。
この時小型ボートで率先してメアリー・セレスト号に乗り込んだデイ・グラツィア号の船員で、オリヴァー・デヴォーと言う男性の証言によると何故か船全体がびしょ濡れの状態だったと言う事です。
大きな破損ではないですが船倉は既に浸水し、ポンプも殆どが操作不能の状態であった事が分かっていますが、これは船を破棄するレベルではありません。
それとは別で故意に破壊されたと見られた部分があり、クロノメーターや羅針盤が該当します。
他にも手すりに血痕が付いて居た事と避難用ボートも故意に離されていたと見られています。
何かしらの理由があって意図的に船を見捨てて皆どこかに行ったのでしょうか。
よく血の付いたナイフが見つかったと言う逸話もありますが、これは船長のベッドの下にあった錆びたナイフの事の様ですね。
一見すると赤さびが血の様に見えた事から、後世になって脚色された話だと思います。
積んであった半年分の食料はそのまま、航海日誌も最後の日付は11月24日の物でその際はアゾレス諸島沖に居た事が分かりました。
どうやらこの時点では以上は無かったとも見られています。
メアリー・セレスト号事件のその後
現在でも注目されている事件ですから、東夷はもっと説明のつかない不可思議な事件とされていたんでしょう。
先ず最初に、メアリー・セレスト号とデイ・グラツィア号の両船長共謀事件とみられました。
お互い親密度が高かった事も災いし、現在で言う所の保険金詐欺的な扱いを受けた様ですね。
他にも最初に乗り込んだデイ・グラツィア号の船員たちが窃盗などの不正を働いたとされる見解も多くありました。
結果的にそれを隠蔽するために様々な証言を後付し、それらが「人がいない船」「手すりの血痕」等オカルトチックな物になったと言う事です。
あくまで当時の世論ですが、結果的にデイ・グラツィア号に嫌疑の目が向けられる事が多くなったんです。
メアリー・セレスト号はその後も売却され何人もの手を渡り有る事になります。
最後の所有者の際には本当に保険金詐欺目的で使用され、ハイチ沖で意図的に沈められましたがバレてしまい上手く行かなかったと言われています。
余談ですが、ウィキによると2001年に作家のクライヴとカナダの映画会社の手により沈んだ船舶の一部が発見されています。
何故メアリー・セレスト号には誰も居なかったのか
この様に建造当時から沈没するまで様々な逸話がつきまとうメアリー・セレスト号ですが、唯一確かな事は発見時誰も乗っていなかったと言う事です。
ここだけ切り取って見ても謎の事で、どういう理由で船を破棄したのか研究されてきました。
主な仮説としては
- 両船長共謀説
- 海賊襲撃説
- 麦角菌汚染説
- メタノール爆発説
- 船員の反乱説
- 局地的なハリケーン説
- 水棲型未確認生物の襲撃説
等があります。
1の両船長共謀説は先ほども述べた通り保険金等を得るために二人が仕組んで船を遺棄したとするものです。
最近ではあまり信憑性は無くなっているようですね。
2番の海賊襲撃説も何かしらの痕跡がメアリー・セレスト号側に残るはずですので、争った形跡が見つからないため可能性は低いでしょう。
同じく5番の船員の反乱も、もう少し破損する部分が出てくるはずです。
3番の麦角菌と言うのは食料として積んであったパンに麦角菌が付着していて、それを食べた乗員が幻覚にさいなまされた後に海に飛び込んだとする説です。
これも全員一度に同じタイミングでかかるとなると可能性は低く、事件後の調査で麦角菌の名前が出ない事から無さそうです。
4番はニューヨークから積んできたメタノールが爆発したとする説です。
爆発その物による破損等が原因では無く、驚いた乗員たちが早々に船を破棄して逃げたとする説ですね。
6のハリケーンや竜巻説も根強いです。これは船舶発見当初船がびしょ濡れだった事から言われました。
記録では発見する前には嵐が来ていた可能性も高いとの事。気になるのは風雨による物が散らかった痕跡が見られなかった事ですね。これも最近ではあまり言われなくなった説です。
7番の未確認生物襲撃説と言うのは、正に未知の巨大な生物によりあっというまに乗員のみ船から引きだされてしまったとする説です。
正直言ってこの説は可能性が低いだけでなく、あくまで保険的な位置づけで付けられた物と言えるでしょう。今よりも科学が発達していなかった当時らしい説とも言えます。
船員の喪失はメタノール爆発によるものか
色々言われてきたメアリー・セレスト号の原因ですが、一番有力な物としてはメタノールの爆発説です。
メタノールと言うのは揮発性に富み、気化して充満した船倉の中で別の要因で引火したんではないかと言う事です。
現代でこそ学校の授業でアルコールや水素の爆発に関して学びますが、当時まだよくその成分が知られていなかったと見られています。
後の記録で積んでいメタノールの樽が破損していた事も判明しており、可能性が高いですね。
実は当時から事件の内容を知る他の船乗りたちの間でも「これが原因だ」と騒がれていた物です。
この説に懐疑的な人の意見では、爆発したのなら船内にススや焦げが確認されるはずと言いますが、あくま小規模爆破だったかもしくは揮発したガス引火しても一瞬の事のためあまり壁などは燃え広がらないと言う研究結果も有ったりします。
個人的に思ったのは、メアリー・セレスト号のブリッグス船長はメタノールが揮発する物で、尚且つ火が付くと何が起こるのか知っていたんではないかと思います。
普通に考えたら船に積む時点で先方からそう言った説明もありそうです。
そう考えると気化したメタノールが船倉に充満しているのじ気づいた時点で船を破棄したのかもしれませんね。
急いで救命ボートに乗り込みましたが、その後遭難にあったか漂流したか等で行方不明になったのかもしれません。
メアリー・セレスト号の脚色とフォスダイク文書
まとめると、メアリー・セレスト号を有名にした要因の一つに「無人の船内はついさきほどまで人がいた痕跡がある」と言う部分です。
しかし、これは後年に後付された物と言う事は確実になっており、そもそも最初に小型ボートで乗り込んだオリヴァー・デヴォーも「朝食等は無かった」と証言しています。
シャーロック・ホームズで有名なコナン・ドイルもこの事件を自分の著書『J・ハバクック・ジェフソンの証言』の中で取り上げており、その内容が今日のオカルトチックな部分前面に押し出す形になってしまいました。
テレビやネットも無い時代、さも本当にあった風に書いたら世の中の人は信じてしまうでしょう。
しかも「メアリー・セレスト号事件」自体は元々皆知っていたらなおの事神秘性が増します。
こう考えるとメアリー・セレスト号事件は割と一般的な当時の船舶事故に近い物だったと言う事になります。
興味深いのはフォスダイク文書と呼ばれる40年後になって発見された当時の乗員の話です。
フォスダイクはそのまま人名で、当時ブリッグス船長と知り合いでありアメリカから脱出するためにメアリー・セレスト号に乗り込んだ様です。
そのフォスダイクによると、事件の概要はブリッグス船長が「服を着たまま人は泳げるか」と言う事を船上で思いつき皆でそれに興じたと言う事の様です。
船長自ら率先して海に飛び込んだ経緯が書かれています。
思いの他ウケた他の船員たちも次々に飛び込み、妻と娘を含む残された乗員も船上の特別デッキの上からそれを見ていましたが突如このデッキも壊れ全員海に投げ出されてしまいます。
折悪くそこにサメが出没し何名かはサメに襲われ、又何名かは溺死したと言う事です。
フォスダイクはたまたまデッキの破片の上に乗っていた事もありそのまま漂流しアフリカの海岸にたどり着いたとの事です。
この一連の経緯が非常に細かく書かれている事もあり、現在では信憑性のある説として研究されています。
事実としての実証が無い事が唯一の欠点ですが、可能性はあると思いますね。
如何でしょう。
メアリー・セレスト号事件は海洋にまつわる不気味で不思議な謎とされていますが、事実は想定よりも普通の事なのかもしれませんね。