都市伝説でよく出てくる日本地図には存在しない町や村、実際のところただの都市伝説なのか実際に存在している場所なのか定かでない場所が多くありますが、過去には本当にある理由から日本地図から消滅させられてしまった島が実在します。
その島にはどんな歴史があってなぜ日本地図から消されてしまったのか?
呪い?心霊現象?陰謀?などいろいろ理由はありそうです。
今回はその謎の島についてご紹介していきます。
日本地図から消された「大久野島」
ある理由があって日本地図から消されてしまった島、その島の名前は「大久野島」といいます。
大久野島は広島県竹原市の瀬戸内海に浮かぶ島です。
現在は国立公園に指定され、島の周囲は約4kmあり島には約900羽ものうさぎが生息していることから別名「うさぎ島」とも呼ばれていて、国内外問わず毎年多くの観光客が訪れています。
そんな明るい雰囲気がある反面、島の内部まで進むと第二次世界大戦に建てられた建造物が不気味な廃墟となって点在しているのです。
なぜ日本地図から消されたのか?
国立公園にまでなり、多くの観光客まで訪れるこの島はなぜ日本地図からその存在を消されなければいけなかったのでしょうか?
その理由は第二次世界大戦にまでさかのぼります。
その当時この大久野島では日本軍の化学兵器製造拠点として戦争で使われる毒ガスの製造が行われていました。
当時の日本にとってこの島は重大な国家機密の島だったのです。
そのため、敵国にこの島の存在を知られないように当時の日本政府は大久野島を日本の地図上から意図的に消し、島を完全に抹消しました。
日本軍が大久野島で極秘裏に毒ガスを製造していたということは、当時の軍の関係者以外にも知らされることはなく、1984年までこの事実を知っている日本人はほとんどいませんでした。
それほど当時の日本軍にとって毒ガスの製造は秘匿事項とされていたのです。
大久野島が日本地図から消された理由は、第二次世界大戦当時の日本の国家機密の漏洩を防ぐためだったのです。
大久野島の現在の姿
現在は国立公園となったことで多くの観光客でにぎわう大久野島ですが、第二次世界大戦当時の毒ガス工場の痕跡は大久野島と周囲の島に今も残っています。
大久野島で製造されていた毒ガスは皮膚がただれてしまうびらん性の猛毒ガス・イペリットというものでした。
ここで製造されていた毒ガスの貯蔵用タンクが置かれていたコンクリート造りの貯蔵庫が今でも当時のままの姿で見られます。
中でも一番大きな長浦毒ガス貯蔵庫跡は、戦後毒ガスが海洋投棄された際に貯蔵庫内の毒性を除去するため、火炎放射器で壁面が焼きつくされて真っ黒になっている様子が今でも生々しく残っているのです。
さらに、当時島を守るために設置されていた8門の砲台の跡や、毒ガス工場に電力を供給していた発電場の跡、兵士たちが休息するために使っていた兵舎の跡なども残っています。
このように大久野島には戦時中の悲惨さを物語る戦争遺跡が学生たちの平和学習の資料として残されていました。
これらの戦争遺跡な加え、島内には毒ガス資料館も作られていて毒ガス製造によった多くの犠牲者が出たことや、戦争の悲惨さを知ることができます。
まとめ
日本地図からその存在を消されてしまった大久野島、そこには悲惨な戦時中の恐ろしさを現代にも伝える貴重な資料が残っていました。
戦争は二度と起こしてはならない!という熱い決意が込められているのです。
国家機密のため地図からは消されてしまいましたが、現在は多くのうさぎたちが暮らす平和な島として残っています。
みなさんも機会がありましたら一度立ち寄ってみてはいかがですか。