心霊現象か?人の仕業か?不気味な未解決事件『八丈島7体人骨事件』

時は約30年前の1994年8月11日。東京都八丈島八丈町にある唯一の火葬場が事件の舞台です。

その日予定されていた葬儀のため職員が火葬炉の扉を開くと、驚くことに夥しい数の人骨が散乱していました。鑑識の結果人骨は7体にも上り島民は大混乱に陥ります。

この手の事件は多くが呆気ない真相に終わりがちです。しかし当事件は捜査をすればするほど謎が湧き立つ大事件に発展し、遂に未解決事件として名を刻んでしまいます。

八丈島の不気味な伝承もあいまりオカルト分野でも有名な本件について、可能な限りリサーチをしてみました。

事件の概要

東京都心から南に約300km、羽田空港から飛行機に揺られ5時間ほどの場所にある南海の孤島「八丈島」が事件の舞台です。

お盆を直前に控えた1994年の8月11日、突如として島全体を巻き込む不気味な事件が起こりました。

その日、ある島民のご不幸のため島唯一の火葬場「八丈町火葬場」は5日ぶりにその役目を果たす予定でした。しかし作業に取り掛かろうとした職員の目に写るのはあまりに想定外の光景だったのです。

そこには夥しい数の人骨が散乱していました。通常ご遺体の火葬は市区町村の許可が必要不可欠です。事故ではなく明らかな事件…直ちに八丈島警察の捜査が入りますが、これは事件のほんの序章に過ぎませんでした。

八丈島警察の捜査

※八丈島火葬場の公式Xです

https://twitter.com/0r7JQL5NSkaVfHQ

鑑識により火葬炉の人骨は人間7体分のものと判明します。その中には産まれて間もない子供の人骨さえ混入していたそうです。

90年代当初はまだまだ現在のような精密なDNA鑑定は確立していません。袴田事件に代表されるように、その正確性はお粗末なもので数々の冤罪事件の要因にもなっています。

そのため7体の人骨の鑑定作業には多くの時間を要しました。

困り果てた警察は八丈島に古くから伝わる故人の埋葬法に目をつけるのです。

八丈島の「改葬」

その昔八丈島で故人を弔う方法は「土葬」だったと言う記録が残っています。令和の現在で土葬は違法行為だということはご存知でしょう。

この「改葬」はかなり特徴的な風習です。

土葬を行い月日が経つと自然の摂理でご遺体は白骨化します。それを再び掘り起こし別の墓所で再度埋葬する…それが「改めて葬る」=「改葬」という風習名の由来です。

火葬場がある通り当時の八丈島でも土葬は行われていません。しかし昔の名残で八丈島には土葬跡が数多く散見していました。

八丈島警察の徹底調査

そして警察の鑑定結果から、もう一つの重大事実が判明しています。それは正体不明の人骨達が最低でも死後10年以上経過したというものでした。

「島民が勝手に埋葬した」その先入観か八丈島にある全ての墓群64箇所、そして私有地まで警察は立ち入り、しらみ潰しに人海戦術を行います。

ところが人骨を持ち出した決定的な痕跡は一向に見つかりません。納得がいかない警察は2度目の再調査を行います。しかし、その結果は覆りません。

そのため警察は「改葬の風習を知っている島外の人間が無断で人骨を持ち込んだ」という捜査方針にシフトします。

数々の矛盾点

ここで断言したいのは警察の方針は決して間違ったものではないと言うことです。捜査線上に次々と浮かぶ真実の方が、あたかもフィクションの様に想定外のものだっただけに過ぎません。

第2の捜査方針を阻んだ矛盾点は

・犯人の侵入経路が分からない

・火葬炉は厳密な規定に則り常に施錠されている

・人骨7体をどの様にして秘密裏に持ち込んだのか

・火葬炉の扉は綺麗なまま(破壊痕などがない)

の4点です。

事件前火葬炉が最後に使われたのが8月6日、事件発覚日が8月11日、この間僅か5日間。不審者や不審船を見かけた島民は聞き込みの結果ゼロでした。

火葬炉に一切破損が見られないことも、事件の謎に拍車をかけます。この捜査結果から人骨を持ち込んだ犯人は「合鍵」を使用した仮説が濃厚になります。

予め合鍵を用意するほどの周到な犯罪行為…これは何を意味するのでしょう。しかも誰にも気付かれない犯行となります。

目撃された心霊現象

これは紛れもなく実際に島民達が証言した実話です。

人骨が発見される前日の8月10日に、火葬場周辺に住む多くの住民が『青白く光る光の玉』を見た…と口を揃えました。

お盆前という事もあり『離れて暮らす家族が郷土に想いを馳せ、自ら白骨となりと帰ってきた』と唱える島民さえいたほどです。

過去に起こった悲惨な事故

発見された人骨は「7」体分。なんて事はないはずの数字ですが、驚く事に八丈島の歴史には「7」という数に奇妙な因縁があります。

本件から遡ること52年前の1952年11月23日、島内を横断する道路建設の作業員が土砂崩れにより生き埋めになり亡くなる事故が起きています。その犠牲者が7人でした。

これだけだと偶然の一致と一蹴されそうですが、この「7」という数字は更なる因縁に結びついていたのです。

 『七人坊主』の祟り

この話は島に伝わる伝記で、その真偽は不明です。しかし八丈島の島民が「7」と聞くと真っ先に思い浮かぶ話でした。

その昔、八丈島沿岸に七人の僧侶が流れ着きます。島民は僧侶達が奇術を使うと恐れおののき、彼らを徹底的に迫害しました。

集落にバリケードを張り徹底的に僧侶を助けようとしません。さらに厄介者とみなされた僧侶達は、食料が乏しく到底生き抜くことができない「八丈島東部」に追いやられます。そこで僧侶は一人…また一人と死に至ってしまったのです。

彼らの死後「家畜が次々と死ぬ」「農作物が不作になり餓死する」「夜な夜な白装束の僧侶達が島を徘徊する」という不吉な出来事が次々と起こります。

そこで村人達は悔い改め、島内東部の山中に祟りを鎮める「七人坊主の塚」を建立しました。これが八丈島に伝わり続ける『七人坊主』の概要です。

心霊現象か?はたまた事件なのか?

技術が飛躍的な進歩を見せる現在、本記事を読みこの事件を心霊現象の仕業…と考える人はかなり少ないでしょう。

しかしながら調べれば調べるにつれ、この「7」という数字と八丈島で起こった事件・事故は奇妙なほどリンクしています。

この記事を書くにつれ分かったことは「七人坊主」が実際に起こった出来事だということです。

とある著名な民俗学者が記した本には、1700年から1800年にかけ、華人が頻繁に八丈島に流れ着いた事実が語られています。コロナ禍が記憶に新しい現在ですが、その当時も実はパンデミックが起きていました。

その正体、それは現在WHOにより完全撲滅宣言がなされている『天然痘』です。華人とは当時で言う中国人を意味します。そう、流れ着いた華人が天然痘ウイルスを持ち込んでしまったのです。

島の伝記では1711年に打ち上げられた難破船から、天然痘が八丈島に持ち込まれた事実が記されていました。逃げ場のない島では次々と天然痘が伝播してしまいます。実に天然痘による総死者は約1000人に上りました。

現在の総人口が7000人程度の島です。当時の人口は今より遥かに少なかったことでしょう。パニックに陥った島民は自衛のため次々と柵を立て、華人を助ける事、そして近寄ることを御法度にしました。

ただ伝承にある「迫害」は確認できませんでした。むしろパンデミック以前は、頻繁に流れ着く華人に対し快く島の寺院に迎え入れた史実さえあるほどです。

やはり事件説が濃厚の様ですが、助けられた華人達の中には恩を仇で返す「祟りの儀式」を行っていました。そこまでに至る経緯は分かりませんでしたが「祟る」という行為には何かしら不気味な因縁を感じざるを得ません。

最有力説「八丈島◯号」

隣国からの密入国が発端である説です。事件性を根拠にするものとしては最有力の話とされ、最も辻褄が合います。

事実、八丈島にある浄土宗開善院には海岸に打ち上げられた出自不明のご遺体が無縁仏として納骨されています。

無縁仏はその顔写真と共に荼毘に付されています。そこに映る顔には、固いものに幾度となく打ち付けられたかの様な痛々しい痕跡が確認できます。何者かの暴力か?それとも荒波に飲み込まれた結果でしょうか…

彼らには八丈島一号〜六号という仮名が付けらています。目的は日本で働く事に他なりません。命を賭してまで彼の国の貧困層は日本での就労を夢見ていたのです。

実は八丈島はこの様な密入国者に狙われやすい島なんです。その昔華人が流れ着いた様に何かしらの地理的要因があると考えられます。

ある時、7人の某国人が密入国の際非業の死を遂げてしまいます。焦った何者かが下調べ済みの「八丈島火葬場」で亡骸を燃やし証拠を隠滅したのではないか?と言う説が最も整合性が取れます。

しかし「合鍵」の問題や、そもそもそこまで手間暇をかけず海洋遺棄するのでは?という疑問もが付き纏い、確定事項としてはまだまだ謎の部分が大半を占めている…という事も補足しておきましょう。

まとめ

今回の事件は事件要素が強いものの、心霊現象やミステリー要素を多分に含んだ非常に不可解な出来事といえます。

今となっては島民も「そんなことあったけ?」と疑問符がつくほどで、島外のオカルトマニア達の方がよほど詳しい逆転現象が起こるほどです。

死体の人骨もある…そして心霊現象の報告・島の言い伝えも確認できる…しかしながら未だに謎が残る未解決事件『八丈島七体人骨事件』。読者の皆様はいったいどの様な解釈が正しいと思いますか?

 

 

 

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