悪霊?亡霊?伊豆諸島に今も伝わる外出禁止の日の謎

みなさんは「海難法師」という言葉を聞いたことがありますか?

海難法師は現在でも伊豆諸島に伝わる風習の一つで、毎年その日の夜は島民たちは外出禁止となり、もし外出してしまったら命はないとさえ言われています。

一体この海難法師とは何なのでしょうか?どんな歴史があるのでしょうか?

今回はその謎に迫っていきたいと思います。

今なお続く伊豆諸島の風習

海難法師という風習は毎年1月24日の夕暮れから明け方にかけて行われます。この時間帯、つまり暗くなったら島民たちは家に引きこもり一切外出しなくなるのです。

この日は島の学校などでも部活動や塾などは中止され、子どもたちは明るいうちに家へ帰れるよう配慮されます。

海難法師は島によって呼び名が違ってきて「日忌様」や「二十五日様神事」とも言われますが、いずれにせよ夜間が外出禁止になるのは同じです。

伊豆諸島のうち新島という島、1月24日は「親だまり」といわれ誰も外出してはならなあ日で、次の日の25日は「子だまり」といわれ子供のみ外出してはならない日とされていて、各々の家の玄関などに魔除けとしてトベラの葉を張り付け、夜は家の中でひっそりと過ごすのです。

海難法師の恐ろしい伝説

海難法師の風習が伝えられる1月24日、この日に外出してしまうと何が起こるのでしょうか?

海難法師の恐ろしさについてこんな言い伝えがあります。

その昔、この海難法師の風習を受け入れず馬鹿にした人が1月24日の夜に外出してしまいました。するとその人は顔中が血だらけになった状態になって自宅に帰ってきたそうです。

本人は何が起こったのか話すことはなく、呆然としていたといいます。

また、同じように風習を信じていない人が家の玄関を開けて差していたトベラを捨ててしまいました。するとその人はその後一切口が聞けなくなってしまい、おかしな言動をするようになったために精神病院へ入院してしまったといいます。

この恐ろしい海難法師の言い伝えは伊豆諸島の島によって違い、中でも三宅島では1月24日の夜になると海難法師が海から現れて「皿出せ土器出せそれができないなら人間の子を出せ」と言いながら島の家を回り歩くといわれています。

そのことから三宅島の人たちは1月24日の夜になると玄関先に海難法師に差し出すための皿を準備して、子どもたちはいつもより早く寝かせるという風習があるそうです。

海難法師の正体とは?

海難法師とは一体何者なのでしょうか?

そもそもの海難法師の起源は寛永5年の江戸時代にまでさかのぼります。

そのころ伊豆諸島では豊島忠松という八丈島代官が、その悪行から島の人たちを苦しめていて、豊島忠松は悪代官として嫌われ、憎まれていました。

その悪行に耐えかねた島民たちは、ついに悪代官を討つために行動を起こします。島民たちは海がしけるであろう旧暦の1月24日に、忠松に島を観光させようと勧めました。

島民たちの思惑通り忠松は島を観光し、船で海へ出たときに大荒れ波によって船は転覆し、そのまま忠松は命を落としてしまったのです。

島民たちは悪代官を討てたことに大喜びしましたが翌年の1月24日、島民たちへの怨みを持った忠松の悪霊が海から現れ、島民たちに恐怖を与えるようになりました。この忠松の悪霊が海難法師の正体なのです。

まとめ

今もなお伊豆諸島に残る海難法師の風習、それはその昔島民たちが悪代官と戦ったことによるものでした。

伊豆大島にある泉津地区というところでは、門井という姓を持つ旧家が海から上がってくる海難法師の霊を迎え入れる役目を持っていて、毎年門井家の代表一人が1月24日になると寒い浜辺で海難法師の霊を迎えるという風習もあるようです。

毎年1月24日に海難法師の霊が本当に現れるかどうかは定かではありませんが、古くから伝わる風習にはそれなりの意味があるので、個人の判断でそのタブーを破るのはとても危険そうです。

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