あのインカ帝国の創始者は日本人だった?その仮説は本当なのか!?

最終更新日 2週間 ago by OKAYAMA

南米アンデスに栄えたインカ帝国——15世紀から16世紀にかけて、現在のペルーを中心に北はコロンビア、南はチリ北部まで広がる巨大帝国を築いた先住民文明です。文字を持たないまま、釘も漆喰も使わず剃刀の刃も通さない精密な石組みを組み上げ、標高2,400mの断崖にマチュピチュを建造した——世界遺産として名高いこの帝国には、ひとつ不思議な説が付きまとっています。

インカ帝国の創始者は日本人だった」——1926年、駐日ペルー領事として10年以上を横浜で過ごした言語学者フランシスコ・ロアイサは、そんな衝撃的な書物を世に出しました。テレビ東京『世界遺産「三大迷宮」ミステリー』でも2014年に特集され、最新のDNA研究でも興味深い事実が出てきています。

本記事では、この「インカ=日本人起源説」の根拠を一次資料にさかのぼって整理し、主流学術がどう評価しているのかを含めて、2026年時点で語れる決定版をお届けします。

マチュピチュ空撮全景
雲海に浮かぶ空中都市マチュピチュ。インカの高度な都市計画を今に伝える世界遺産。
Ministerio de Defensa del Perú / CC BY 2.0 via Wikimedia Commons

インカ帝国とマンコ・カパック神話——チチカカ湖から現れた兄妹

インカ帝国(1438年頃〜1533年)は、ペルー南部高原のクスコを都として築かれた中南米最大の国家です。歴代皇帝(サパ・インカ)は13代を数え、第9代パチャクテク(在位1438–1471年)の代で帝国は飛躍的に拡大しました。アンデスの地名では「クスコ」は宇宙の「へそ」を意味します。

クスコのインカ石積み
「剃刀の刃も通さぬ」と称されるクスコのインカ石積み。釘も漆喰も使わず精密に組まれている。
Martin St-Amant / CC BY 3.0 via Wikimedia Commons

そのインカ帝国の始まりは、ひとつの神話によって語られます。17世紀初頭、スペイン人と先住民の混血であるインカ・ガルシラーソ・デ・ラ・ベガが著した『インカ皇統記(Comentarios Reales de los Incas)』(1609年)によれば——太陽神インティの命を受けた兄妹(夫婦)であるマンコ・カパックママ・オクリョが、チチカカ湖の湖底から姿を現しました。

チチカカ湖
標高3,812mに広がるチチカカ湖。インカ創世神話でマンコ・カパックが降臨したとされる聖なる湖。
Anthony Lacoste / CC BY 3.0 via Wikimedia Commons

インティは彼らにタパク・ヤウリ(tapac-yauri)と呼ばれる黄金の杖を授け、「この杖が地中に沈む土地に都を築け」と告げます。二人は北に歩き続け、ついにクスコの地で杖が消えた場所を見つけ、そこに神殿を建てた——これがインカ帝国の始まりとされる伝承です。

1926年、『マンコ・カパは日本人だった』——ロアイサ元駐日領事の衝撃

インカ初代皇帝マンコ・カパック肖像
インカ帝国の伝説的初代皇帝マンコ・カパック(19世紀の油彩画)。
作者不詳(19世紀)/ Public Domain via Wikimedia Commons

このインカ創世神話に正面から「日本人起源説」をぶつけたのが、ペルー人の言語学者・外交官フランシスコ・A・ロアイサ(Francisco A. Loayza、1872–1963)です。ロアイサは1912年から約10年間、横浜に駐日領事として滞在した人物で、ペルー初期の日本研究者として知られています。

ロアイサが1926年にブラジル北部のパラーで出版したのが『Manko Kapa. El fundador del Imperio de los Inkas fue Japonés(マンコ・カパ——インカ帝国の創始者は日本人だった)』です。この本でロアイサは、13世紀頃、黒潮に流された日本人漁民がガラパゴス諸島を経てペルー海岸に漂着し、やがてチチカカ湖畔に王国を興した——と主張しました。

彼の主張の要点は次の通りです。

  • インカ王族だけが日本人の末裔であり、ケチュア民族全体がそうだとは言っていない
  • 「マンコ(Manko)」という名は日本語の「マナコ(目)」に由来する
  • 皇帝の杖「タパク・ヤウリ」は日本語の「タカヤリ(高槍)」に類する
  • チチカカ湖周辺の地名・王族の姓名の多くが日本語と音韻的に対応する

なお、日本語の一部記事で「ロアイサは元ペルー駐日大使」と紹介されることがありますが、これは誤りです。ロアイサは「領事(cónsul)」であって大使ではありません。本記事ではこの点を訂正してお伝えします。

2014年、テレビ東京が放送した『三大迷宮ミステリー』ペルー編

日本でこの説が一気に広まったのは、2014年3月28日にテレビ東京で放映された『世界遺産「三大迷宮」ミステリー』のペルー編でした。黒木瞳・草刈正雄を案内役に、「インカ帝国を作ったのは日本人だった!?」というテーマで、次の4点を掘り下げています(番組公式ページ)。

  • インカ皇帝のミイラから採取されたウイルスDNAと寄生虫の遺伝情報が、九州地方の日本人のそれと酷似
  • インカ神話の兄妹婚・国生み構造が、日本神話のイザナギ・イザナミと相似
  • ケチュア族の王族に伝わる「創始者は東の海の彼方から来た」という口承
  • マチュピチュに残る石工技術と、日本の城郭石垣の共通性

番組では「第9代皇帝パチャクテクの末裔」を名乗る人物が出演し、「一族には創始者が日本人だったという言い伝えがある」と語ったシーンが話題となりました。ただし、この末裔を名乗る人物について独立した裏付けは取れておらず、番組内での自称にとどまっている点は押さえておく必要があります。

ケチュア語と日本語は本当に似ているのか——比較言語学の視点から

ロアイサ説の中核にある「ケチュア語と日本語の類似」は、実際のところどう評価すべきでしょうか。答えは——「類型論的(タイプ的)に似ているが、系統関係を示す証拠はない」です。

ケチュア語と日本語はいずれも膠着語(接辞を語幹に貼り付けて文法関係を示す言語)で、語順はSOV(主語-目的語-動詞)、助詞的な後置小辞があり、主題を明示するマーカーを持つなど、文法の「型」が近い特徴はあります(東京大学『言語学論集』のケチュア語研究参照)。

ただし、主流の比較言語学では「類型が似ている=同じ語族」とは認められません。言語の系統関係を示すには、音韻・文法・基礎語彙の規則的対応が必要ですが、日本語=ケチュア語の間でこの厳密な対応は確認されていません。ケチュア語は南米先住民のケチュア諸語に属し、日本語は日琉語族——現在のところ系統的には別グループと考えるのが学術的に妥当です。Wikipediaも日本語=ケチュア語比較を「擬似科学的言語比較」の一例として扱っています。

16〜17世紀、ペルーには確かに日本人がいた——記録で追う

インカのキープ(結縄)
文字を持たなかったインカ帝国が、数や記録を刻むのに使った結縄「キープ」。
Brooklyn Museum Collection / Public Domain via Wikimedia Commons

ロアイサ説が13世紀の漂流を語る一方で、「日本人がペルーに渡った」もっとも古い確実な記録はどこまで遡れるのでしょうか。これは都市伝説ではなく、史料で追える話です。

  • 1585年頃 ——ガスパル・フェルナンデスら大分・豊後出身の日本人3名が、マニラ経由でメキシコ・アカプルコに奴隷として連行された記録(Iwasaki Cauti『Extremo Oriente y el Perú en el siglo XVI』)
  • 1613年 ——ペルー副王モンテスクラロス侯の命令で行われたリマの人口調査で、「日本人20名、中国人38名」など計114名の「中国・日本・ポルトガル領インド出身者」が記録される(BIFEA誌掲載の一次資料)
  • 1614年1月28日 ——支倉常長率いる慶長遣欧使節団(180名)がメキシコ・アカプルコに到着。一行はメキシコからヨーロッパに向かった

いずれもインカ帝国滅亡(1533年)後の記録です。帝国が栄えていた時代に日本人が集団でペルーに渡った直接証拠は、現時点で発見されていません。

篠田謙一博士のDNA研究——ペルー古代人と日本人の意外なつながり

インカ第9代皇帝パチャクテク肖像
インカ帝国を大帝国へと押し上げた第9代皇帝パチャクテク(1615年の銅版画)。
Antonio de Herrera y Tordesillas(1615)/ Public Domain via Wikimedia Commons

ロアイサ説を傍証するものとして近年注目されているのが、国立科学博物館・篠田謙一博士(人類学)によるペルー古代人骨のDNA研究です。篠田博士らは、ペルー北部ランバイエケ地方シカン遺跡(約1,000年前)から出土した人骨のミトコンドリアDNAを解析し、次のような結果を発表しました。

  • シカン古代人のmtDNAハプログループは、南米先住民に典型的なA・B・C・D系統で構成される
  • その一部は、エクアドル、コロンビア、シベリア、台湾、そして日本のアイヌ集団との遺伝的リンクを示す
  • これは、2〜3万年前にユーラシア大陸からベーリング陸橋を渡った東アジア系集団が、北米経由で南米に到達した人類移動史の痕跡だと解釈される

さらにTajima et al. 2004年の研究(Journal of Human Genetics)では、アイヌ集団の父系・母系DNA解析から、縄文系のハプログループD1が北米先住民のD1と祖先を共有することが示されました(Nature系ジャーナル掲載論文)。

ただし、これは「日本人がインカ帝国を作った」という意味ではありません。正確に表現するなら——日本人とペルー先住民は、ユーラシア大陸を旅立った古代東アジア人という共通の祖先を持つ遠縁の親戚であるということです。ロアイサが夢見た「13世紀の漂流」を裏付けるものではなく、むしろ2万年以上前の人類移動のスケールで両者がつながっていることを示す研究といえます。

学術的結論と、それでも残る謎

現在の学術的な到達点を整理すると、次のようになります。

  • インカ帝国の創始者が13世紀の日本人だったという直接的な歴史的証拠は存在しない
  • ケチュア語と日本語の類似は膠着語としての類型論的一致であり、系統関係の証明にはならない
  • インカ神話とイザナギ・イザナミ神話の類似は兄妹婚・国生みというモチーフの世界的普遍性として説明可能
  • しかし、古代DNAのレベルでは日本列島とアンデスのあいだに東アジア系集団の痕跡が共有されており、数万年スケールの人類移動史で両者はつながっている

ロアイサの説は、今日の学術的基準では仮説の域を出ないものです。ただし、駐日領事として10年間も日本語を身近に学んだペルーの知識人が、自国の創世神話に「日本の影」を感じ取った——その直感そのものには、いまなお心惹かれる何かがあります。

マンコ・カパックが現れたとされるチチカカ湖を訪れると、標高3,800mの青い湖面に朝日が差し込み、富士山麓の湖畔のような静けさが広がります。大陸の果て同士で語られた神話が、どこか似た響きを持つ——その不思議な感覚は、科学がまだ完全には説明しきれていない人類史のロマンとして、これからも語り継がれていくことでしょう。

参考文献・出典