みなさんは日本の妖怪と聞いたらまず何が思い浮かびますか?一つ目小僧、ろくろ首、ぬりかべ…どれもみんなが知ってる知名度の高い妖怪ですね。
今回はそんなS級知名度の妖怪の中でも人気の高い「河童」について詳しくご紹介していきたいと思います。
実は河童もれっきとしたUMAで、日本の各地で目撃情報があるんです。果たして河童は実在するのでしょうか?そしてその正体は何なのでしょうか!?
河童についておさらい
まず河童と聞いて思い浮かぶのが頭の上にある皿ですね、この皿は常に濡れていて乾くと弱ってしまうといわれています。
そして全身が緑色の皮膚に覆われていて背中には甲羅があり、手と足の指の間には水かきが付いているのがよく知られている河童の姿です。
言うまでもなく河童は川などの水辺に生息していて、水辺に近付いた人を水の中へと引きずりこみます。そして引きずりこまれた人は河童に尻子玉を抜かれてしまうのです。尻子玉を抜かれた人は腑抜けになるといわれています。
河童の目撃情報
河童の目撃情報は古くから多くあり、特に川や湖などの水辺が多い北関東ではいろいろな言い伝えや昔の絵・文献などにも登場しています。
特に河童とのゆかりが深い群馬県北部にあるみなかみ町の赤谷川には「かっぱ地蔵」というものがあり、毎年7月26日には地元の旅館の関係者らが集まって、1年間赤谷川で水害や水難事故などが起きないように安全祈願をする風習があるそうです。
このかっぱ地蔵がある地域では、その昔河童が薬の作り方を教えてくれ、そのお陰で病気が治ったというような言い伝えがあり、かっぱ地蔵に河童が好きなキュウリをお供えして頭のお皿に水をかけるなどして大切に祀っています。
河童の正体にはいろいろな説が!
いろいろな地域で昔から目撃情報があり、地域によってはご利益があるとして祀られている河童ですが、その正体は一体何なのでしょうか?
もちろん河童という種類の生き物がまだ未確認ながらも存在する可能性もありますが、他のものを見間違えたという可能性もあります。
その見違えられた正体についてはいくつか候補があり、カワウソや亀などの水辺にいる動物を見間違えたというものや、儀式などに使われた人形という説、川などの事故で亡くなった人などという説があります。
一番有力な河童の正体とは?
先ほど出てきたようにいろいろな説がある中で一番有力視されているのが、その昔中国から日本へ渡来してきた川の民という説です。
川の民たちは治水の技術に長けていたため、江戸の町や城などの治水工事をまかされていました。
しかし、時代が進むにつれて当時の日本に新たな渡来人が押し寄せてきたことで、治水技術も新たな方法へと発展していき、川の民たちは職を失ってしまいます。
職がない川の民たちは町を追われ、山間部などの川のほとりでほそぼそと暮らしていくことになってしまったのです。
そんな住むとこを追われた川の民たちは、次第にコケなどで肌は緑色になっていき、食料が乏しいためにガリガリに痩せ細り背中も丸まってしまったために甲羅を背負っているかのような風貌へと変化してしまいました。
その姿を町の人たちが見て、その見た目から人とは違うものとしてとらえてしまった可能性があります。
まとめ
日本を代表する知名度S級のUMA河童、日本各地で昔から目撃情報はあるものの、実在するという決定的な証拠はいまだに見つかりませんでした。
もしかしたら江戸時代に時代の流れに取り残された渡来人かもしれませんし、本当にこの日本には河童という固有の生物が存在するのかもしれません。
また新たな情報が入りましたらご紹介したいと思います。