~幽霊寺の掛け軸~
熊本県は人吉市、地元では有名な「幽霊寺」がそこにあります。
本堂を進むとそこにあるのはおぞましき幽霊の姿が描かれた掛け軸。その掛け軸こそがこの「永国寺」を「幽霊寺」たらしめている原因なのです。
生気のない白い表情にやせ細った身体。腰から下は背後の景色が透けて見えるほど薄く描かれ、脚はありません。見る人によっては目を覆いたくなるほどのインパクトを与えるこの掛け軸ですが、実は裏にこんな悲しい物語があったのです。
~女の幽霊~
時は室町時代まで遡ります。現在の人吉市とされる地域の近郷にとある武士が住んでおりました。その男には正妻がおりましたが、それとはほかに1人の愛人がおりました。男の正妻はこのことをよく思っておらず、嫉妬から度々嫌がらせをしておりました。そんな日々が続いたある日、とうとう愛人は正妻からの嫌がらせに耐え兼ね、球磨川に身投げをして自ら命を絶ってしまったのです。
この時の恨みや悲しみが原因となり、愛人は成仏することができず幽霊となってしまったのでした。幽霊となってからは正妻のもとに度々現れるようになり、彼女を驚かしては苦しめていたのです。
そんな日々が続いたある日、この永国寺を創建した実底超真和尚(じっていちょうおしょう)という方が幽霊となった彼女に因果の道理を説き、そして掛け軸に幽霊となった彼女の醜い姿を描いて見せたのです。それを見た彼女は自身のあまりの醜さに驚き、「成仏させてください」と和尚に引導を求め、無事成仏したのでした。この時描かれた掛け軸が現在永国寺に保管してある掛け軸となります。
いかがだったでしょう?この掛け軸に込められた物語を知る前と知った後ではこの掛け軸の見え方が随分と変わってきませんか?
一見してみればただの怖い絵が描かれた掛け軸ですが、背景にはこんな悲哀に満ちたお話が隠されていたのです。
ただし、この物語にはこんな裏エピソードもあるのです。
~女性の幽霊は本当に成仏したのか?~
永国寺の創建は1400年代といわれ、たいへん古い歴史を持っています。その古い歴史の中でこの永国寺は一度、不審火により全焼してしまっているのです。
寺にあったほとんどのものがことごとく焼けてしまった中、この掛け軸だけは燃えずに残ったといいます。偶然なのかそうではないのか。このエピソードから、一説には幽霊の怨念はまだこの世に残っているのではないかとさえ囁かれているのです。このお話、皆さんはどう思いますか?
~幽霊寺の現在 ゆうれい祭りとは?~
「幽霊寺」こと永国寺では毎年様々な行事が催されていますが、一番有名なのは「ゆうれい祭り」でしょう。これほどインパクトのある名前の祭りは日本有数かもしれませんね。
ゆうれい祭りは毎年8月に永国寺にて開催されるお祭りです。気になるお祭りの内容はというと、ずばりお化け屋敷です。お寺の敷地内に即席のお化け屋敷をつくり、お祭りに訪れた人々を恐怖のどん底に叩き落します。これがなかなかに気合が入っており、お化け屋敷に 入場する前、並んでいるお客さんにわざわざレコードの怪談話を聞かせるという徹底ぶり。訪れた人の中には、怖くて泣き出したなんて人もいるようです。
この幽霊祭り、お化け屋敷以外にも、当日はたくさんの出店があり、お化け屋敷以外にもしっかり楽しめるお祭りとなっています。
いかがだったでしょうか?本記事では人吉市にある「幽霊寺」こと「永国寺」についてご紹介しました。興味のある方はこの夏、ひやりとする体験を求めて訪れてみてはいかがでしょうか。