みなさんは日本三奇というものをご存知ですか?
日本三奇というのは誰がいつ何のためにどうやって作ったかが詳しくわかっていない奇跡の建造物のことをいいます。
「石乃寳殿」「四口の神竈」「天逆鉾」の3つの建造物があり、どれも日本古来の神話と関係があるもので、現代技術をもってしても未だ詳しく解明されていません。
今回はその日本三奇のうち「天逆鉾」の謎についてご紹介したいと思います。実はあの坂本龍馬とも関係がありそうなのです。
天逆鉾はどんなものなのか?
天逆鉾は鹿児島県の高千穂峰の山頂部に実は今もなお突き刺さっているんです。
3つの刃がある大きな鉾が刃を上向きにして山頂に突き刺さっています。
この天逆鉾は人気マンガ「呪術廻戦」にも強大な呪いが込められた特級呪具として登場しているのです。
一体誰がいつ何のためにこの鉾を山頂に突き刺したのでしょうか?
未だいつから突き刺さっているのか解明はされていないものの、奈良時代にはすでに山頂にあったという記録があります。
実は現在山頂に突き刺さっている天逆鉾はレプリカで、昔からある本物ではありません。
本物は高千穂峰が噴火したときに折れてしまい、折れた鉾の柄の部分は現在も山頂の中に残っているそうですが、先端の部分は折れた際に島津家に献上されたのち行方がわからなくなってしまったというのです。
「天逆鉾」を引き継いだ島津家
島津家といえば鎌倉時代から明治時代まで薩摩を領していた大名で、百済から渡来してきた秦氏の子孫が島津家のルーツといわれています。
そしてその秦氏というのは日本人とユダヤ人は祖先をたどると同じ民族であるという日ユ同祖論の重要な民族といわれている失われた10氏族の末裔と言われているのです。
それに加え島津家の家紋が十字になっていることなども相まって、島津家はユダヤ人でありフリーメイソンであるという見解もあります。
そんな島津家が神話にも出てくる天逆鉾を受け継いだということは、何か深い関係がありそうです。
「天逆鉾」が登場する古代神話
ここまで天逆鉾についてご紹介してきましたが、一体何のために作られたものなのでしょうか?
そのカギは、実は日本の古代神話に登場します。
国生みの神として知られる伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)が天の浮橋から大海をかき回して、日本列島を作る時に使った天沼矛の別名が天逆鉾と言われているのです。
また、天照大神を祀る伊勢神宮がある伊勢神道では、天から天照大神が天逆鉾を伊勢に投げ下ろしたものが、伊勢神宮に保管されているという諸説もあります。
さらに神々が集うとされている出雲大社がある島根県の出雲他方では、天逆鉾は大国主神を通じてニニギに渡り、最終的に現在も天逆鉾が突き刺さっている高千穂峰に渡ったという言い伝えもあるのです。
このように天逆鉾にまつわる伝説は日本のさまざまな地方で残されていて、解釈も変わってきます。
坂本龍馬が「天逆鉾」を抜いていた?
天逆鉾は、幕末に活躍したあの有名な坂本龍馬とも関わりがあるといわれています。
妻であるお龍とともに坂本龍馬は高千穂峰の地を訪れことがありました。
そして山頂でこの天逆鉾を見た龍馬は、突然この天逆鉾を引き抜いてしまったのです。
このエピソードについて龍馬は姉に手紙を書いていて、その手紙が今も龍馬記念館に保存されているそうです。
その後龍馬は暗殺され、高千穂峰では噴火や地震などが相次いだことから、天逆鉾を引き抜いたことによる祟りが起こったのではないかという噂もありました。
まとめ
日本の古代神話にまつわる天逆鉾伝説、たしかに山の山頂に大きな鉾が突き刺さっているとこを見ると、本当に昔の神々が何らかの意図をもって突き刺したとも思えます。
現在山頂に突き刺さっている鉾はレプリカですが、もし立ち寄る機会がある方は一度ご覧になってみて下さい。
日本の古代ロマンに浸れるかもしれませんよ。