日本人のルーツはメソポタミア文明に関係していた?

みなさんは私たち日本人がどこから来たのか?いつから日本列島に住み始めているのか?など日本人のルーツをご存知ですか?

古代日本人のルーツにはさまざまな説が説がありますが、今回はそんな中でも日本人はあの有名なメソポタミア文明を築いたシュメール人と関係があるのでは? という説について探求していきたいと思います。

日本人のルーツにはどんな説がある?

私たち日本人はいつどこから日本列島へやってきたのか?

これには多くの学者たちがいろいろな説を唱えてきましたが、その中でも特に有力とされている説が、東南アジアから日本列島に渡来してきた縄文人と紀元前10世紀から3世紀中頃の弥生時代以降に北東アジアから渡来してきた人種との混血種が現在の日本人になったという説です。

この説は二重構造説と呼ばれていて、現在でも議論されています。

そんな中浮上したのが日本人は渡来してきたシュメール人説なのです。

シュメール人とメソポタミア文明

シュメール人は紀元前3500年から紀元前2000年頃に存在していました。

メソポタミア地方南部のチグリス・ユーフラテス川流域にメソポタミア文明の先駆けとなる世界最古といわれる都市国家を築き生活していたのです。

シュメール人がどこから来て最終的にどこへ消えたのかは未だ詳しく分かっていません。

アッカド人によってシュメール人の都市国家が征服されてメソポタミアに統一されました。その後バビロニアがペルシャ帝国に併合される時代が訪れると、シュメール人たちは歴史からその姿を忽然と消しています。

日本人とシュメール人の信仰の共通点

私たち日本人とシュメール人は神を信仰する点において共通点があります。

まずシュメール人が信仰していたのは山や木などあらゆる自然を神として崇める多神教でした。

また、王を神というポジションにおいている点なども含めて私たち日本人の神道と多くの共通点があります。

古代バビロニアには日神の日像鏡・月神の月像の首飾り・武神のシンボルである剣という三種の神器がありました。皆さんもご存知だと思いますが、日本にも天皇家に伝わる鏡・勾玉・剣という三種の神器があるのです。

しかも日本の神話で8つの首を持つヤマタノオロチを退治して現れたのが草薙の剣ですが、シュメールの神話では7つの首を持った竜を退治したときに三種の神器が現れたとされています。

まさに三種の神器にまつわる神話が一致しているのです。

また、時代劇の水戸黄門などでもおなじみの菊の御紋は16弁の花弁がありますが、シュメール王朝の紋章も16弁の花弁があります。

ここまでくると偶然の一致とは言い難いのではないでしょうか?

日本の菊の御紋が皇族の紋章となったのは後鳥羽上皇がいた鎌倉時代とされていますが、その紋章がそれ以前にオリエントから中国、さらにそれが日本へと伝わったと考える学者もいます。

日本語とシュメール語の共通点

信仰の他に言語についても日本とシュメールでは共通点が見られるといいます。

まずどちらの言語も名詞や動詞の後に助詞や助語尾を付けることで文となって、付けた語尾や助詞によってその文の意味が変わるという膠着語という構造を持っているのです。

日本語の「てにおは」に当たる言葉がシュメール語にも存在しています。

また、日本語とシュメール語には共通する語彙があるともいわれていて、日本語で使う「スメロギ(皇祖)」「スメラミコト(天皇)」「ミカド(帝)」などはシュメール語から由来しているという説があるのです。

地図上ではとても離れている日本とシュメールですが、驚くほど言語の共通点は多くありました。

まとめ

これまでご紹介してきた共通点以外にも縄文人とシュメール人の顔の特徴に共通点があったりと探せばまだまだ一致する箇所はあります。

シュメール人が何らかの理由で日本へ渡ったという説がありましたが、逆に日本大陸にいた縄文人が火山の大噴火などで日本大陸を追われ、一部がシュメールまでたどり着いたという説まであるのです。

これらの説はまだまだ仮説の域を出ることはありませんが、さらなる研究が進むことによって、その真相が明らかになる日が訪れるかもしれません。

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