女王の欲望に埋もれたパルミラ遺跡

過激派の手中にあるシリアの遺跡

パルミラ遺跡シリアの首都であるダマスカスから北東に215キロ程行った所に位置します。
辺り一帯は砂漠と言う立地に存在し、それが結果的にも中継地点として栄えました。

オアシス都市とでも言いましょうか、紀元前1世紀頃に最盛期を迎え、交易の関税等で発展したと言われています。
当時はローマ帝国の属国でしたが、なかば独立国としての様相を呈していたようです。

広大な市街地の中にローマ様式の建造物

Palmyra2
出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/

行った事の無い人にはイメージが付きにくいかもしれませんが、パルミラは思った以上に広大な都市です。
その大きさは10キロ平方メートルのサイズの中に市街地が存在し、細部には当時最高水準を誇っていたローマ帝国の様式が随所に用いられています。

家屋だけでなく、神様を祀った神殿や大浴場、円形の演劇場等が出土していますね。
驚くべきはこれらの建造物が今日でも割と保存状態の良いまま見つかりました。

現在でもこれらの遺跡は残されていますが、ここ数年はIS国による破壊がつとに取り沙汰されています。
勿体ないですね、せっかくの歴史の遺産がこう言った手段で破壊されると言うのは近世ではあまり目にしない事ですから、それだけで事の大きさが分かると思います。

話は戻しますが、上記の施設だけでなく一般家屋も研究の対象として非常に貴重な歴史的資料となっています。

特徴的なのは先にも挙げたローマ帝国の文化だけでなく、政治に始まり美術、宗教なども上手く東西の文化が織り交ざっている所ですね。
シルクロードによって東西の要所であったパルミラでは、ギリシャ、ペルシャ、中国等の当時の文化の痕跡も多く見る事が出来ます。

出土品の中からは当時の中国の絹織物も発見されていたりします。

女王ゼノビアの治世で滅びたパルミラ

パルミラ遺跡
出典:http://archaeologynewsnetwork.blogspot.jp/

現在までで分かっている事は、紀元後275年に滅びたと言う事です。
当時のここの統治者はゼノビアと言う名前の女王で、絶世の美女だったと言われていますね。

当時より自分を「クレオパトラの末裔」と称する事もあったようで、それだけ美貌に自信があったと言う事の裏付けだと言えます。
知性も豊潤に持ち合わせた女王だった様ですが、ただ一点かなりの野心家だったようです。

その結果、パルミラを正式にローマの属国から独立させようと近隣の帝国領に向けて戦を始めます。
結果はどうだったかと言うと、あっさりと当時のローマ皇帝アウレリアヌスに返り討ちにあってしまいます。

その後パルミラは衰退の一途をたどり、女王ゼノビアは死ぬまでローマ帝国で幽閉されたようです。
この事から悲劇の女王とされる事の多いゼノビアですが、地元の民にとっては良い迷惑だったのかもしれませんね。

その後風雨にされされながら約2000年もその姿を留まる事が出来たパルミラですが、現在は過激派の手により破壊が著しく、このまま進むと世界遺産登録も抹消されると言われています。

[当記事の著作権はhttps://chahoo.jp/に帰属します]2016/05/04
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パルミラ
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