平家物語に登場する物が有名
ヨーロッパのキメラについて以前紹介した事がありますが、今回の「鵺」は和製キメラの様な幻想生物です。
→キメラと言う今も生物学に名を残す聖獣
その異様な外見は猿の頭部、狸の体、虎の手足に尻尾が蛇となっています。
泣き声は鳥のトラツグミに似ていて、特徴的に「ヒョー」と鳴くと言います。
複数の生物が混ざっている所がキメラと共通していますが、特に尻尾が蛇というのはまんまキメラと同じですね。
歴史上に顔を出したのはキメラの方が早く、日本での鵺の記録は平安時代にまで遡ります。
当時の日本は既に中国から様々な文化が伝来し始めていましたから、元々陸を伝ってきたキメラの伝承が日本に入って来て独自の鵺になったんではないでしょうか。
平安時代のいつ頃登場したか
記録によると平安時代のいつ頃出現したかと言うのは諸説があるようです。
平安時代後期に出現したとされるが、平安時代のいつ頃かは、二条天皇の時代、近衛天皇の時代、後白河天皇の時代、鳥羽天皇の時代など、資料によって諸説ある[3]。
ことに妖怪の類として描かれる事が多い鵺ですが、一説には元々霊獣だったとも言われています。
霊獣と言うと中国の麒麟や四神が有名ですが、それと同じレイヤーの生物だった可能性が高いですね。
ただ、日本で鵺の存在が広まると、その外見も伴いどんどん貶められてしまったんではないでしょうか。
元々体を構成する動物たちは各々が干支や方角を表す際に登場する物ですから、一種の縁起を担いでいた事は明確ですね。
虎、蛇、猿、犬は全て十二支にもいますよね。こうした部分も神格化されていた理由のひとつでは無いかなと思います。
有名な鵺退治
最終的に鵺は退治されてしまう逸話が多いです。
逆に退治した日本の英雄譚の様な物が広く知られていて、大昔のスサノオのヤマタノオロチ退治に次いで認知されてるんではないでしょうか。
有名な話は近衛天皇の時代に現われた鵺を源頼政が退治する話です。
当時の悪鬼退治は弓の上手い物が行うと言う通例があり、源頼政も弓に長けていた事から抜擢されたと言います。
毎晩現れる鵺に困り果て、どんどん衰弱していく近衛天皇のために、部下の猪早太と共にいよいよ退治を決行します。
鵺の出現時には、清涼殿と呼ばれる御所は常に不気味な黒雲が湧いた事から、先ずは頼政がこの雲目がけて矢を放ちます。
直撃したのか、見事上空から鵺が落下してきたので、そこをすかさず猪早太が捉えてとどめを刺したと伝わっていますね。
その後天皇の体調はグングン良くなったと言います。
鵺の死骸の動向に関してもその後諸説あり、共通しているのは皆処理に困ったと言う事ですね。
妖怪なので当然と言えば当然ですが、最終的に塚を作って埋葬されたり、気づくと死骸が馬に変わってた等興味深い話が多いです。
余談ですが、頼政の先祖の頼光は大江山の酒呑童子を退治した人物です。
今では不吉な物の象徴
時代が下ると、一連の話が転じて「不吉な物の象徴」として考えられるようになります。
そもそも正体が合成獣として異形ですから、今よりも昔の人たちに取っては尚更正体不明だったんでしょう。
意味が分からず不気味と言う事を指す表現になります。
思うに当時は少しずつ歴史に武功の立つ物が登場する時代でもあります。
要は戦闘力が高いヒーローが有名になり始める頃なんですね。
そんな武士への羨望もあり、又一つのエンターテイメントとして世に出て来たのが鵺なんではないでしょうか。
本当に鵺のモデルの生物が居たとしたらそれこそ未確認生物ですが。
日本に登場する妖怪や幻想生物の中でも一際異彩を放つのが鵺なんです。
[当記事の著作権はhttps://chahoo.jp/に帰属します]2016/04/07当記事の無断転載は禁止しています。