世界七不思議の一つ!ロードス島の巨像は再建されるか!?

古代の哲学者、フィロンのまとめた世界七不思議と言う建造物達があります。
現存しているものはその内エジプトのピラミッドのみですが、今でも沢山の人のロマンを掻き立てる題材として様々なジャンルに登場しています。

 

七不思議の一つロードス島の巨像

今回ご紹介するロードス島の巨像は、その七不思議の内の一つですが、他の建造物と少し趣が違いますね。
似たような七不思議の中の巨像にはオリンピアのゼウス像がありますが、ロードス島の巨像との一番の違いは座っているか立っているかですね。
立っているのはロードス島の巨像の方ですが、ネット上でググるだけでも色々な芸術絵画が出てきます。

コロッサス

紀元前三世紀に、エーゲ海のロードス島と言う所に建てられたこの巨大な像のモデルは、太陽神ヘリオスです。
ギリシャ神話に始まり、特にヨーロッパでは沢山の太陽神がいますが、戦勝記念の意も込めてこの神様にささげるために作られました。

その大きさたるや台座も含めると約50メートルもあったと言う事ですから、イメージ的にはニューヨークの自由の女神と同じぐらいのサイズ感でしょうか。
紀元前の人々の間でその大きさの巨像を建てる技術があった事にも驚きです。

ちなみに幾つかの名称があって、ヘリオス像やアポロンの巨像とも呼ばれる事もあります。

建立に至った流れとしては、当時地中海沿岸の国は結構カオスでした。
特にマケドニア帝国は後継者の問題から分裂をくりかえし、一般にディアドコイ戦争と呼ばれる戦いに踏み切ります。

この時ロードス島の人々は、プトレマイオス1世を王に据えたエジプト軍に与します。
紀元前305年に、ロードス島に約4万人の軍隊が派遣されて島を包囲しますが、結局上手く行かず撤退したようですね。
尚、この時は他の地域は征服する事に成功したとの事ですから、突出してロードス島の攻城戦が上手かったと言う事でしょう。

戦に置いてもこれだけ特筆すべき堅牢さを誇った文化ですから、こうして見ると巨像の建立にもその辺の文明力が関わってるのかもしれませんね。

海をまたいで描かれるロードス島の巨像

そんな荘厳な超古代文明の遺物ですから、中世を始めとして様々な文学や絵画のモデルになってます。
特に昔に掛かれたであろう絵画は一つ特徴があって、良く港の出口で湾をまたぐように巨像が描かれています。

結論から言うと、ロードス島の巨像は湾をまたいで立てられてはいません。
科学的に見ても、またぐ作りにするのであればサイズははるかに大きくないと成立しないからですが、当時の湾の様子も現代では判明していると思うとかなり研究が進んでいる建造物なんですねきっと。

伝説では港口をまたぐロードス島の巨像はその手に焼けた油が入った容器を持っていて、敵船が港に近づくと仕掛けが作動し頭上から油を注いだと言う逸話もあります。
これは恐らく構成の創作だと思いますが、本当だったら面白いですね。

巨像の仕掛け

巨像倒れる!その原因は!?

建立されてから100年も経たない間に、ロードス島に大きな地震が襲います。
その時の揺れで、悲しいかな巨像は膝辺りからぽっきり折れて倒壊してしまったようですね。

すぐに当時の王も再建の案を出しましたが、島民の多くは「神を象った物を作ったから怒りにふれて地震が起きた」と言う意見を持っており断念した模様です。
又、当時の世相は戦争に明け暮れている様な状況でしたから、様々な軍と民族が島に出入りしている間に瓦礫は紛失してしまったようです。
今と違い家屋を建てるにも簡単にセメントなどを作れる時代ではないです。その瓦礫群も次の建造物の一部にされてしまう事が多かったんではないでしょうか。

余談ですが、ロードス島の巨像の再建立計画は1970年から再燃していますが、莫大な費用が掛かる事で現在まで正式に決まっていませんね。
地中海の島に勇壮な巨像があれば観光名所としても大分潤うと思うのですが。

ロードスの巨像再建

ロードス島の巨像
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